『あいたくてききたくて旅にでる』を読む

「あいたくてききたくて旅にでる」(小野和子)は2019年初版発行。
そのとき85歳だった小野さんが、30代からこつこつと「採訪(小野さんの造語)」した東北などの民話と話者にまつわるエピソードをまとめた本。

「あいたくてききたくて旅にでる」(小野和子)

なにしろ、話し手が私の祖父母よりも前の世代(明治~大正生まれ)なので、もうまるで今とは生きる世界が違っている。子どものときに、親に口減らしのために「ほいと」になることを強制された古老もいた。そんな人たちの話なので、印象に残った話がたくさんあった。

・苦労しすぎて口をきかなくなったおばあさん
・人と一緒に働いた動物たち(カロ、クロカゲ)
・坂上田村麻呂にまつわる話(「鬼伏せ」「鬼橋」など鬼のつく地名はエゾに勝利した戦いのあとを示す地名/田村麻呂をカラス、キツネなど助ける話が知られている一方で、先住者側を助けるバージョンも伝わっている)
・夫を亡くし、子も4人とも病気と戦争で失ったヤチヨさん(最後に大切に持っていた「赤穂浪士」の絵本を筆者に託す)
・妻子を誤って撃ってしまった鉄砲撃ち(猟師・マタギ)の話(「里の男」が「山の野郎ども」に向けるまなざし)
・戦地から死の知らせを送ってくる兵士(石が割れる、水が凍る)
・夢であんこ餅を食べた兵士
・家の押し入れの中でお札になっている神様を見つけたおばあさん

なかでも一番興味深かったのが

・昔の農村における「老いて子がない夫婦」のあり方

だった。

昔の農村は屋根ふきや農作業を「結い(共同体)」でやっているので、人手が出せなくなった老人だけの家は里から出て、山の方へ移っていかざるをえない。
山の木を切って生計を立てているところでは、山仕事ができずお金も払えない人は山へ入って「柴を刈る」ことだけは許されている。しかし「金を払わないで、タダでもらっていくのだから、それを刈って積んで置いたり、保存したりすることは禁じられていて、その人たちは、必要なだけ毎日刈りにいく」のだそうだ。

それで昔話に出てくる子がない老夫婦の「おじいさん」は「山へ柴刈り」に行っていたのか。
だから桃太郎やかぐや姫のような形で子どもを得ることは、今の環境を脱する夢物語として存在していたのかもしれない。

この本は「なぜ昔話のおじいさんはいつも山へ柴刈りにいっているのか」みたいなタイトルにしたら、もっと売れたような。
この本の真摯なつくりからして、そんなタイトルはつけないでしょうが。

日本人の自分の頭で考えたくない、責任を取りたくない気質はもしかしたらこの「結い」に一因があるのかもと思った。
何かやらかして村八分にされる恐怖が、日本人のDNAに刻まれてしまっているのかもしれない。