祇園祭礼図屏風(出光美術館) 重要文化財 1

右隻 寺町通を行く鉾

右隻 菊水鉾

作品詳細

  • Title:祇園祭礼図屏風 部分
  • Date:桃山時代 17世紀
  • Medium:六曲一双
  • Collection:出光美術館
祇園祭は京都、八坂神社の祭礼で祇園御霊会ともいう。御霊会は災い(疫病や洪水など)を成すとされていた怨魂を呼び出し、歌舞や芸能で慰め和して(神賑)遷御する祭であるが、祇園社の場合、その祭神に牛頭天王を祭る。祇園の御霊会は旧暦6月7日に本社から御旅所へ神輿を迎え、さまざまの神賑を催し、6月14日に本社へ還幸するのを定例とした。神賑として平安時代から馬長や風流田楽などが奉納されたが、山鉾や派手な装束の供人が陪従するようになったのは鎌倉から室町期にかけてらしい。応仁の乱によって京の町は灰燼に帰して祇園祭も暫くは途絶えたが、16世紀初頭には再興され、その後近世初期には町衆の経済的繁栄と権勢者の庇護政策(鉾町・寄町の整備)を背景に、山鉾の豪華さ、母衣・旗指物・傘・大きな扇などを負い甲冑に身を固めた神人の派手派手しさは頂点に達する。
この華麗な祇園会の様子は京都の夏の風俗としてほとんどの「洛中洛外図」に描かれている。「祇園祭礼図」は四季折々の多様な風俗を包括的に扱った「洛中洛外図」から、このテーマだけを個別に拡大して一双屏風に収めたとみることもできる。多くの屏風は右隻には先の祭(7日)の山鉾巡行を描き、左隻には後の祭(14日)の神神輿の還幸と母衣や旗指物を負った神人の行列を描くのを定型とした。
このような内容の「祇園祭礼図」だが、現存する作品には祭の興奮・喧騒など、祭の熱狂を伝えるものは少なく、むしろ静的で整然とした感がある。これは、祭に熱狂する人々を描くことから儀礼としての祭を忠実に記録するという方向に視点が移っているためと思われ、この傾向は時代が下るにつれて強くなるようだ。すなわち、祭の式次第や祭列の順序、山鉾の巡行する町割を正確に再現することに関心が移っていき、祭を楽しむ人々や息づく街並みの描写には生命力が失われていくのである。
「祇園祭礼図」の最古の作例とされる図3(本図)は、単なる記録には陥らず、祭のもつ聖俗両面のうち、その俗の方よりは聖なる部分、神事・祭礼としての祭が典雅に、おごそかに、そして冷静に描き出されているように思われる。
図3(本図)は描かれた祭礼の形態などにより慶長期の作であることがわかる。また、作者については、独特の肥痩のある線による顔の描き方、あるいは流麗な衣文様、松樹の描法などから狩野派正系の絵師と考えられる。祭の聖なる面にふさわしい品格ある絵師である。近世初期風俗画の展開の上でもごく早い段階に位置する作品である。
『出光美術館蔵品図録 風俗画』

全体図>>>祇園祭礼図屏風