『同時代禅僧対談<問い>の問答』は南直哉さんと玄侑宗久さんの対談。
禅僧でも南さんは曹洞宗、玄侑さんは臨済宗で、結構違いがあるらしい。
異界
玄侑:平安時代以降の浄土思想では「浄土に往く主体を認めている」
南:親鸞聖人の「自然法爾」。最晩年には「念仏だけ」になりたかった。極楽往生という枠組みもいらなかったのでは?この「自然」はバルトのいう「神」みたいなもので、人間とは「無限の距離」がある。
言語
南:日本語は関係性を掴むことにはきわめて繊細だが、それが何であるかを言い切る言語になってない。日本に形而上学がまったく生まれなかったのは、日本にはそれが必要なかったからでは。
玄侑:日本という国にある基本ソフトは<八百万>。<八百万>は<具体>あるいは<感覚>を重視する姿勢。
南:人間はいったん何かを信じると<信じる自分は裏切れない>。この構造にはまると自己相対化がきかないので<閉じた言説>はまずい。禅に共感するのは<ぜったいに閉じさせまい>という覚悟があるところ。<閉じる>というのはある問いに対して一つの答えを出して問いを塞いでしまうこと。
出家
南:宗教は自己肯定の手段ではない。宗教はときに人間を危機に陥れるもので、平和にするものではない。ブッダのいう「涅槃」は「存在しなくなること」。
南:<仏教には何かを統一しようという意思が欠けている>。「効く薬ならなんでもよかろうということか。
南:大乗仏教もブッダの中にあったもので、仏教の革新派が起こした運動だと思う。
大乗仏教の起源については定説がなく、大乗仏教は仏説でない=大乗非仏説という考えもあるそう。
追記
今日『別冊100分de名著 集中講義 大乗仏教』を読んだら、「釈迦の仏教」と「大乗仏教」は別物、ときっぱり断言されていた。「釈迦の仏教」は輪廻と業を除いては、極めて合理的な思考で成り立っているとも。確かに大乗仏教は、ブッダが説いた教えとはかけはなれている。そして「釈迦の仏教」が日本に入ってきたのは、実に明治になってからのこととか。「日本の仏教」は、日本の風土に合った形で発展してきた独自の宗教だと思う。
<智積院のサイトより>
サンスクリット語の原始経典では、仏教とは〝仏の教え〟とはありますが〝仏になるための教え〟というのは出てきません。それが なぜか大乗仏教では〟仏になるための教え〟が組み込まれているのです。このあたりは大乗仏教を考える上で重要な意味を含んでいるのではないかと考えます。
これもなかなか興味深い指摘。
慈悲
南:『法華経』は「とりあえず死ぬまでは生きる」ということを決定的に肯定しようとする強烈な意志に貫かれた経典。死んでいいはずの、自殺したってかまわない人間に<最後まで生きることを強いる>。その中に「慈悲」がある。
玄侑:「自業自得」という言葉があるが、それを「自業他得」と考えるのが「慈悲」の一つの心構えかなという気がする。
近代
南:日本の神は弱すぎ、矛盾だらけで当てにも頼りにもならない。実存の全体を支え切れるような、密度を持った存在ではない。
神道では「死は穢れ」=触れないが、穢れようと穢れまいと、死ぬ人は死ぬ。
そうはいっても、このふんわりしたものが好きなのが日本人・・・
玄侑:いじめ、不登校にかかわると見えてくるのが家庭内の序列が完全に狂っていること。母親が圧倒的な強さを持っている。
うーーん、圧倒的なのがまずいのは父親、母親同じじゃないですか?母親に限定するのはおかしい。
南:半分自殺するつもりの引きこもりの30代の人が永平寺に来たので、話を聞いた。夕方の5時から翌朝9時までぶっ通し。その人は、精神科にかかったことはあるが、1時間で打ち切られるので、こんなに話を見いてもらったことはなく、その後外に出られるようになった。
今のお寺に必要なのは、こういうことじゃないですかね?檀家かどうかにかかわらず、苦しい人の話を聞いてあげる場所として存在する。でも南さんみたいにいろいろ考えているお坊さんじゃなく、ただ家を継いだだけの不勉強な住職では役に立たないか。
師
玄侑:寺子屋の教科書は7,000種類以上あった(大工用、左官用など)。子供たちは一つの教室で学んでいながら、全員違う教科書を使っていた。教壇から一方的に話すのは、明治以降のスタイル。
南:先生を増やして、学級人数を少なくし、教わる方と教える方の人間関係の型を安定させてあげないと駄目。