若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図(出光美術館)
若衆歌舞伎図(出光美術館)
三味線を弾く一座のスターらしき人物

若衆歌舞伎図(出光美術館)

若衆歌舞伎図(出光美術館)
欄干の近くに“茶屋のかか”の扮装をした人がいる

作品詳細

  • Title:若衆歌舞伎図 部分 Young Men Dancing a Kabuki Odori
  • Date:江戸時代 寛文期
  • Medium:一面 紙本着色
  • Collection:個人蔵
出雲の阿国による興行で爆発的な流行をみた歌舞伎踊りは、やがて大勢の遊女たちのレビュー形式の総踊りへと受け継がれていく。遊女屋の主人が、阿国の踊りが客を勧誘する手段として効果があるのに気づき、これを利用して新しい見世物をはじめたのである。草創期の歌舞伎においての伴奏楽器は、太鼓・大鼓・小鼓という狂言で用いられたものを襲用していたが、遊女歌舞伎の頃に渡来の三味線を加えて、ますます華やかになった。
寛永6年(1629)、社会悪の温床となり風紀を乱すとされた女性による芸能が幕府によって全面的に禁止されると、かわって前髪姿の麗しい美少年たちによる若衆歌舞伎に大衆の興味が移っていく。若衆の芸能集団は阿国の歌舞伎興行以前から獅子舞い・軽業などの芸を主に存在しており、静嘉堂本『四条河原遊楽図屏風』には遊女歌舞伎の小屋に交じって若衆歌舞伎興行の様子が描かれている。
本図は若衆による歌舞伎踊りとみられ、舞台には橋掛りがあり、長押には桔梗の紋入の幕を張り、大鼓と小鼓を打つ肩衣をつけた人物がいる。踊りの輪の中央には、曲彔に腰をかけて三味線を弾く一座のスターらしき人物とその左側に太刀持ちの少年を、輪の外の右側、欄干の近くには“ゆらい”を被り“茶屋のかか”の扮装をした人物を描いているところから“茶屋遊び”の狂言を一歩進めた豪華な総踊りの場面とみられる。
この作品は、寛永期作の静嘉堂本『四条河原遊楽図屏風』の左隻の2扇上部に描かれた道喜座の遊女歌舞伎の図と人数は同じで、構図もほぼ同一である。遊女と若衆の違いはある者の輪舞する人物のポーズも似たものが多い。
慶長期末から元和年間にかけて歌舞伎が風俗画における主な画題として定着し、民衆の興味の対象となると、無名の町絵師によって数々の作品が制作されはじめる。そうした中で描かれる人気の踊りのポーズも粉本化して幾度も絵画化されるようになったと考えられる。本図もそのような粉本化による制作と思われ、制作年間は寛永期より下った時期であろう。
『出光美術館蔵品図録 風俗画』