四条河原には、さまざまな芸能の見世物小屋がありました。
右隻第五扇上部
あやつり小屋
17世紀の初め、「操り浄瑠璃」と呼ばれる人形劇が都市で流行しました。
「山中ときはあやつり」「むねわりあやつり」と書かれていることから、演目は「山中常盤」「阿弥陀胸割」とわかります。
右隻第六扇中上部
能の小屋
『洛中洛外図大観 舟木家旧蔵本』(1987年)は演目を「橋弁慶」としていますが、『洛中洛外図・舟木本を読む』(黒田日出男、2015年)では、赤頭(あかがしら)に大兜巾(おおときん)を被り、大癋見(おおべしみ)面で羽団扇を持つ人物は天狗と推測し、演目は「鞍馬天狗」であるとしています。
かぶき小屋
かぶき小屋
竹矢来(たけやらい)、筵張り(むしろばり)の小屋に鶴丸紋の幕、熊手、刺股(さすまた)、毛槍の道具が見えます。
慶長8年(1603年)、出雲阿国が始めた「歌舞伎踊り」は、男装した女性が主役だったことが独創的で非常に人気が出たため、遊女たちが真似をしました。
「かぶく(傾く)」とは当時日常的につかわれた言葉で、まっとうでない、人目を引くようなことを表しました。
この遊女歌舞伎で演じられているのは、代表的演目である「茶屋遊び」。
舞台中央で蛭巻(ひるまき)の太刀を持っているのが傾奇者です。
櫓の隅にねずみ木戸と呼ばれる狭い入口があり、客が赤い覆面をした男に入場料を払っています。
舞台の後は、気に入った演者を買うという仕組み。
しかし風紀上の問題などで寛永6年(1629年)から取り締まりが厳しくなり、ついに女性が演じるのは禁止されます。
女がダメなら、と今度は美少年を中心にした「若衆歌舞伎」が流行しますが、これもあえなく禁止、そして現在の歌舞伎の形になっていきます。
作品詳細
- Title:洛中洛外図 舟木本 部分 Folding Screens of Scenes In and Around Kyoto (Funaki Version)
- Artist:岩佐又兵衛 Iwasa Matabei
- Date:17世紀
- Medium:紙本金地著色 六曲一双
- Collection:東京国立博物館