ボス

ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)

Jheronimus_Bosch

  • 15-16世紀の初期ネーデルラントを代表する画家。伝統から逸脱した独自のヴィジョンで幻想的な地獄や悪魔を描いた。
  • ボスが所属していた「聖母マリア兄弟会」は「共同生活兄弟会」(神秘主義者ヤン・ファン・ロイスブロークに傾倒するヘラルト・フローテが創設)という宗教団体に影響を受けていた。ボスも感化を受けたと推察される。
  • パトロンはほとんど知られていないが、初めは所属していた「聖母マリア兄弟会」の会員、そこから各地の君主にまで及んだと考えられている。
  • 30点余りの油彩画と20点余りの素描が真筆とみなされているが、工房作品や模写も多く、研究者でも判断が分かれている作品もある。
  • 画業が長く、人気もあったのに現存している作品が少ないのは、1566年のイコノクラスム(聖像破壊運動)のため。1629年、スヘルトーヘンボスが新教区になったことも影響している。

生涯

  • 1450年頃 生年不明。正式な呼び名はヒエロニムス・ファン・アーケン。祖父ヤンが北ブラバントのスヘルトーヘンボスに移住し、そこで生まれた。スヘルトーヘンボスは毛織物業などで栄えていた都市。祖父、父ともに画家。
  • 父の工房でミニアチュール、油彩画を習得する。
  • 1462年 父アントニウス、街の中心である市場広場に家を購入。
  • 旅行の記録は残っていないが、南ブラバンド、イタリアを訪れたと推測されている。
  • 1474年 姉の土地をめぐる公記録にヒエロニムスの名が出ている。この記録から、父が1480年頃に亡くなり、アレイト・ホヤールト・ファン・デ・メルヴェンヌと結婚したことがわかる。妻は資産家の娘で結婚後のボスの生活は安定していた。
  • 1486年-1487年 「聖母マリア兄弟会」(聖職者や貴族、市民で構成された宗教団体)の会員に登録される。ボスは終生「聖母マリア兄弟会」の会員で、会を通して顧客を獲得したと思われる。
  • 1488年 「聖母マリア兄弟会」の中でも名士だけが集う「白鳥の宴」に招かれる。
  • 1503年-1504年 3人の弟子を持つ。
  • 1504年 フィリップ美公から「最後の審判」の委嘱を得た画家として、リール市にある文書にボスの姓が初めて記載。居住する都市にちなんだ名を名乗っていることで、画家としての名声を確立していたことがわかる。
  • 1516年 スヘルトーヘンボスで死去。シント・ヤンス聖堂内の聖母マリア兄弟会の礼拝堂で葬儀が行われた。

代表作

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