武装して馬に乗る随兵(ずいひょう)。弓をたばさみ、胡籙(やなぐい)を背負っています。
2人の従者が轡をとる馬上の人物は、検非違使の長である廷尉(ひとやづかさ)と推測されますが、剥落しています。
松明をかざす2人の火長(かちょう)。兵士10人を「火」といい、その長で検非違使の配下。ここでは先導をつとめています。
作品詳細
- Title:伴大納言絵巻 上巻 Ban Dainagon Emaki” (illustrated scroll of the story of a courtier Ban Dainagon)
- Date:12世紀
- Collection:出光美術館
「伴大納言絵巻」は若狭小浜藩主である酒井家に伝来しました。もとは長い絵巻でしたが、酒井忠勝が3巻に分断、改装しています。
史実をもとに描かれた絵巻で、話の面白さと巧みな絵画表現によって、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻とともに日本の三大絵巻に数えられます。
12世紀後半に、後白河法皇のもとで宮廷絵師として活躍した常磐光長が制作したと考えられています。
あらすじは以下の通り。
大納言伴善男(とものよしお)が左大臣源信を失脚させようと応天門をに放火し、左大臣の仕業として天皇に訴えるも、その後の調査によって左大臣の無実が判明します。放火犯がわからないまま、事件から半年たったころ、舎人の子どもの喧嘩から親同士の喧嘩になり、たまたま放火の現場を目撃していた親が、応天門炎上は伴大納言の犯行であるということを暴露します。大罪を犯した伴大納言は、伊豆国への流刑に処せられるのでした。
応天門は貞観8(866)年に炎上し、放火犯として伴大納言が処罰を受けていますが、史実では犯行の動機についての記述はなく、出世のためというストーリーは絵巻において付け加えられたものです。
巻頭、書き出しの詞書が失われていますが、すでに500年以上前からこの状態であることが、後崇光院の日記『看聞御記(かんもんぎょき)』に記されています。
現存する詞書は『宇治拾遺物語』の「114 伴大納言、応天門を焼くの事」に似ています。