川越百万灯夏まつりに出かけたら、たまたま一番街で秋田県羽後町の西馬音内(にしもない)盆踊りを見ることができました(小江戸宵の舞)。
衣装も踊りも風流で美しく、気になって調べたら、「日本三大盆踊り」の一つで、重要無形民族文化財でもある伝統あるお祭りでした。
まず正応年間(1288~93)に豊年祈願の踊りが始まり、関ヶ原合戦前後(1593~1601)に、滅亡した西馬内城主・小野寺茂道一族を偲んで遺臣たちが始めた盆踊りと合わさって今に続いているそうです。
彦三(ひこさ)頭巾
黒い布をかぶり、前と後ろに垂らしたもの。
この頭巾を被った姿は亡者を表しているため、西馬音内盆踊りは別名「亡者踊」ともいいます。
編み笠
乾燥させたイグサで作った半月形の笠。
「鳥追」の被っていた笠に似ています。
端縫い(はぬい)衣装
絹布の端切れを接ぎ合わせて作られていますが、袖口や裾などには同じ柄の布を使い、布の配置は左右対称とします。
『秋田県西馬音内盆踊りに着用される「端縫い衣装」について』佐藤智子
A Research on the “Hanui Costume” Worn at the Bon Festival Dance in Nishimonai Akita Prefecture
この論文によれば、「このような絹を再利用した薄綿入りの端縫いは秋田のほかの地域でも作られており、下着として用いられていた。江戸末期の禁令によって一般人が絹を着られなくなったが、顔を隠す祭の夜は表着として使用することができた。」そうです。
確かに、真夏に着るには暑い衣装です。
といっても、絹を利用した端縫い衣裳は、昭和になるまでよほどの旧家などしか持っていなかったとか。
『染と織の歴史手帖 「きもの」と「きれ」をもっと深く知るために』(吉岡幸雄)にも、東北地方の山里では、古着の木綿一反と自分たちの織った麻布三反を交換していた、嫁に来るとき、木綿何反持ってきた?と姑に聞かれるほどの貴重品だった、という記述がありますから、それまでは庶民が絹を手にすることはなかったと思われます。
藍染め浴衣
多くは手絞りの藍染めで、江戸後期、平鹿・浅舞地方で発達した”上絞り”という技術が用いられています。