パーヴェル・フィローノフ(Pavel Filonov/Павел Филонов)
- 分析的芸術理論を提唱し、その理論をいくつかのマニフェストにして残しました。
- 「世界を開花させる芸術家、プロレタリアの芸術家は、対象とその環境のあらゆる術後・属性を動員する。すなわち、現実、脈動とその領域、生体力学、知性、放射、組み込み、発生、色彩と形態における過程、要するに生活のすべてを。」(「『世界的開花』宣言」より)
生涯
- 1883年 モスクワに生まれる。
- 1896年 母が亡くなる。
- 1897年 姉の嫁ぎ先であるペテルブルグに移住。
- 1903-1910年 レフ・ドミトリエフ=カフカスキーの画塾に通う。
- 1908-1910年 セント・ペテルブルグ・アカデミーで学ぶ。
- 1910年 ロシア未来派のグループの一つ「青年同盟」に参加する。
- 1912年 イタリア・フランスに旅行。
- 1913年 ヨシフ・シコーリニクとともにマヤコフスキーの悲劇「ウラジーミル・マヤコフスキー」の舞台装置をデザイン。
- 1914年 マニフェスト「つくられた絵画」を出版。この頃から、いわゆる「分析主義」と呼ばれる、独自の絵画理論に取り組み始める。
- 1916-1918年 軍務に就く。
- 1923年 ペトログラード芸術学院教授、ペトログラード芸術文化研究所(インフク)会員になる。マニフェスト「『世界的開花』宣言」を出版。
- 1925年 「分析的芸術の巨匠集団」(フィローノフ学校/МАИ)を創設。
- 1929-1930年 レニングラードのロシア美術館で個展が計画されるが、延期の末に開催中止となる。
- 1941年 第二次大戦におけるドイツ軍包囲のレニングラードで死去。