彦根屏風(紙本金地著色風俗図)

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絶妙のバランスで立つかぶき者と洋犬を連れた遊女。

犬を紐綱で連れて歩くのは、近世初頭の遊女が南蛮人のもたらした西洋風俗をファッションとして取り入れたのが最初ではないかと思われる。山東京伝の『歴世女装考』には、「狆を曳く禿」という近世初期の図が載っているが、当時の洛中洛外図や邸内遊楽図にもそうした情景が見いだされる。
『彦根屏風』には、犬を連れた美しい遊女が描かれているが、その小犬は白黒斑で妙に首が長い。
『縄暖簾図屏風』にも、遊女とともにこれとよく似た小犬が描かれている。これらの遊女は六条柳町の遊女と考えられるが、王朝古典で六条というとすぐに連想されるのは『源氏物語』の光源氏が営んだ広壮な邸宅「六条の院」である。
そこで蹴鞠に興じていた柏木は、走り出た唐猫が跳ね上げた御簾の奥に女三宮の姿を認めるのだが、それは柏木と女三宮の悲劇的な恋愛の端緒となる事件であった。この唐猫は縄でつながれており、その縄が御簾を跳ね上げたのである。
『彦根屏風』や『縄暖簾図屏風』では、王朝の姫君のかわりに遊女が描かれ、御簾のかわりに縄暖簾が、そして唐猫のかわりに洋犬が用いられている。
犬は本来「やつし」の動物であった。同時代の『犬徒然』『犬枕』といった仮名草紙の表現は、それぞれ『徒然草』『枕草子』をもじったものだが、その内容は「もじり」というよりも「やつし」の姿勢が明らかである。すなわち『彦根屏風』や『縄暖簾図屏風』の遊女は、犬という「南蛮やつし」の小道具によって、王朝の姫君女三宮に見立てられているのである。
裾元に小犬がじゃれつく女性像は、浮世絵など近世の美人画に頻出する。この典型的な美人画の型のひとつは、こうした南蛮人と犬と遊女を巡るイメージの連鎖によって始まったのである。(奥平俊六)
『日本美術館』桃山時代「南蛮人と犬」

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「寛文小袖」は器物もモチーフにし、扁額模様は人気がありました。

『彦根屏風』の登場人物には、華麗な小袖を身にまとった若い遊女が多い。その中で、脇息に寄りかかる女は、ひとり落ち着いた雰囲気を漂わせており、かえって印象的である。じつはこの女の形は、伝統的な維摩像の形に倣っている。
維摩像にはいくつかのタイプがあるが、脇息に寄りかかりながら画面の外を見るタイプは、有名な文殊との問答の場面を想定したもので、古くから描きつづけられた。女の形は明らかにこれに拠っている。
では、なぜ遊女の形に古代インドの聖者の形を用いなければならないのか。それはまず、この女が普通の遊女ではないことによる。この女は年恰好からみて「かか」、すなわち遊里の経営者の妻女である可能性が高い。
「かか」は弁舌の才によって、客と遊女の間をとりもつ恋愛ゲームの演出者でもあった。そして維摩は、在家信者でありながら、やはり巧みな弁舌によって仏弟子たちを論破し、教え導くのである。
さらに、この形自体に本来、隠遁者を暗示する側面があることも重要である。
もともと脇息によってくつろぐポーズは、白楽天や柿本人麻呂など隠逸の詩人に用いられていた。
例えば、狩野探幽が石川丈山の肖像にこの形を用いたのは、隠者の形としての意味合いのほうが強い。『彦根屏風』の表現には、随所に隠逸への願望が見え隠れする。発注者や画家が共有していたこのような思いが、画家の脳裏にあった画像データ・ファイルから、この形を選ばせることになったのであろう。(奥平俊六)
『日本美術館』桃山時代「ダブル・イメージ」

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双六をする遊女と若い男。

作品詳細

  • Title:彦根屏風 部分 Hikone Folding Screen
  • Date:寛永期(1624-1643)
  • Medium:紙本金地着色 六曲一双
  • Collection:彦根城博物館

正式名称は「風俗図」ですが、彦根の井伊家に伝来したため「彦根屏風」と呼ばれます。

彦根城博物館のサイトで全体図と細部を拡大してみることができます。
http://hikone-castle-museum.jp/collection/331.html