湯女図

Yunazu

作品詳細

  • Title:湯女(ゆな)図 部分 Women of a Public Bathhouse, Yuna
  • Collection:MOA美術館

湯女とは、江戸時代の銭湯で、客の垢すりや髪すきのサービスを提供していた女性。
次第に酒食の相手や売春もするようになったため、幕府がしばしば禁止令を出して取り締まりました。

湯女たちが着ている小袖の文様(「沐」の字を用いた丸紋散らし、大きな桜の花、文箱、松皮菱に千鳥など)が、無背景のために引き立っています。

小袖は、広い身幅、短い袖丈、長い襟丈など、江戸時代初期の小袖の特徴を備えています。

髪型は垂髪から結髪に移行する時代で、根結垂髪(ねゆいすいはつ)や禿風のものなど、さまざまな結い方が見られます。

左端の湯女は、長い縄状の丸打の紐で両端が房状になっている名護屋帯を使っています。桃山時代から江戸初期に用いられた帯で、肥前や名護屋で唐糸(絹糸)で組んだことから、この名が付きました。

この頃の帯は男女共通で、細いために結ぶ位置は自由でした。

現在掛軸となっているこの図は、もともと屏風の一部だと考えられていますが、当初の図様がどのようであったかについては諸説あります。

私はこれを、もと二曲一双の屏風の片割れと考え、失われた方には、ちょうど《花見遊曲図屏風》の橋のところで見かけたような媾曳のシーンの男性方、かぶき侍どもが描かれていたと推察した。(『辻惟雄集5 又兵衛と山雪』)

佐藤康宏氏は『湯女図-視線のドラマ』の中で、画面の右外に吉原の遊女が描かれており、高級遊女と下級遊女の対立が描かれていたと主張しています。

また、辻氏は不自然な描写などからこの図は原画ではなく「原画からの何度目かの写し」だと推測し、「懐手をした番長役の女の姿かたちに、室町時代の水墨画家、可翁の描く《寒山図》が重ね合わさっている」などの教養から、佐藤氏同様、原画を描いたのは岩佐又兵衛としています。