右隻第四・第五扇中部
五条大橋は別名大仏橋とも呼ばれ、秀吉が大仏造営のために五条大路の東の端にあった五条大橋を撤去し、新たに六条坊門通に架橋したものです。
そのため、通りも五条橋通(のちに五条通)と呼ばれるようになり、もとの五条通は松原通と呼ばれるようになりました。
架け替えられた橋は長さ七十六間半(約140m)、幅四間一尺(約7.6m)という大きなもので、大仏殿や豊国廟への参詣者でにぎわいました。
橋の左側には物売り、物乞いの姿が見られます。
右隻第五扇中部
踊り騒ぐ花見帰りの一行。
『洛中洛外図・舟木本を読む』(黒田日出男、2015年)は彼らの持っている傘の模様に着目し、先頭の日輪と二本目の桐紋から豊臣氏にかかわる人たちであり、先頭の老後家尼は高台院(北政所おね)と推測しています。
右隻第四扇中部
一行の中に枝垂桜の枝を持っている者がいることから、花見をしたのは豊国社とわかります(右隻で枝垂れ桜があるのは豊国社のみ)。
周囲の人々の注目を集めている、両脇を支えられた酔っ払いは、もしかして名のある武将なのかも?
酔っ払いの後ろに見えるのは両替屋。
作品詳細
- Title:洛中洛外図 舟木本 部分 Folding Screens of Scenes In and Around Kyoto (Funaki Version)
- Artist:岩佐又兵衛 Iwasa Matabei
- Date:17世紀
- Medium:紙本金地著色 六曲一双
- Collection:東京国立博物館