小袖屏風

先日の「俺たちの国芳 わたしの国貞」展以来、すっかり文様の魅力にとりつかれてしまい、図書館にある服飾史や着物の本を片っ端から読んでいます。

すると、さまざまな小袖を屏風に仕立てた資料をあっちこっちで目にするのです。

Kosode with chrysathemum,arabesque,and paulownia-01
「白綸子地菊唐草桐模様絞縫小袖」
「鬱金綸子地菊文字模様絞縫小袖」

当時そんなものを作る風習があったのかな?と不思議に思っていたのですが、『野村コレクション 小袖屏風』(国立歴史民俗博物館)を読んで、その疑問が氷解しました。

この一群の「小袖屏風」は、昭和になってから、野村正治郎(1879年-1943年)という蒐集家が制作したものでした。

彼の母親志てが西洋人を顧客に商売を始め、正治郎はアメリカに留学し、美術商として成功します。彼はそこで得た富を小袖のコレクションにあてました。

江戸時代には、死者の供養のために生前着用していた衣類などを菩提寺に奉納する風習がありました。小袖類は打敷や幡、袈裟などに仕立て直され、回向に供されました。

ところが明治になって廃仏毀釈運動がおこり、寺院が破壊され、寺にかかわる染織品が多数市場に流出しました。

野村が蒐集した裂にはそのようなものも多数含まれていましたが、仕立て直しの際に不要な部分が失われ、完全な形で小袖に復元することは不可能なものもありました。

当時は裂を歴史資料として扱う認識はなく、不完全な形では鑑賞の対象にならないと考えられていました。そこで、誰が袖屏風に着想を得て、これらの裂類を屏風に貼装する小袖屏風が制作されました。

近世前期の稀少な作例を選別し、制作された小袖屏風は100隻以上にのぼります。

Kosode byobu-01

小袖屏風の衣桁型は、歴史的に確認されている3つの基本形に則り、裂に合わせて一つ一つ意匠が凝らされています。

野村正治郎衣裳コレクションデータベース 国立歴史民俗博物館

国立歴史民俗博物館は、野村正治郎の衣裳コレクションデータベースを公開しています。

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