フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)
- 思い込みの激しい性格で、思いついたらすぐ行動し、嵐のような短い人生を送りました。
- 10年で800点の油彩と850点のデッサンを残しましたが、生前に売れたのは1点だけでした。
- 「自分をもっと力強く表現するために色を自由に使う」というゴッホは、色や形やタッチに感情を込めて描きました。
生涯
- 1853年 オランダ南部の村、フロート・ズンデルトに牧師の次男として生まれる。ゴッホ家は代々牧師で、親戚に美術商が何人かいた。
- 1869年 16歳のとき美術商グービル商会ハーグ支店の店員になる。
- 1876年 グービル商会から解雇される。
- 1877年 アムステルダムで神学部の受験勉強を始める。
- 1878年 ブリュッセルの伝道師養成学校へ入学するが、中退する。
- ベルギーの炭坑地帯ボリナージュで伝道師になるが、度を超えた仕事ぶりが反感を買って免職される。
- 1880年 ブリュッセルのアカデミーでデッサンを学ぶ。
- 1881年 いとこのケー・フォス・ストリッケルに求婚して拒絶される。
- 1881年 ハーグへ行く。子連れの娼婦と同棲するが、破局。
- 1883年 両親の赴任作であるヌエネンに移り、ここで200点ほどの絵を描く。
- 1885年 父親が急死し、ベルギーのアントウェルペンにある美術学校に入るが、落第。
- 1886年 画廊に勤める弟テオを頼ってパリに移る。ここで第8回印象派展に出品されたスーラの『グラン・ジャッド島の日曜日の午後』に感銘を受け、コルモンの画塾でロートレックらと知り合う。
- ゴッホの絵画は印象派の影響を受け、当時流行していたジャポニズムに傾倒するようになる。
- 1888年 日本への憧れが高じたゴッホは、日本のような明るい陽光を求めて、南仏アルルへと旅立つ。画家が集まって共同生活を営むことを夢見て、10月にゴーガンを呼び寄せるが、12月のゴッホの耳切り事件でゴーギャンは去る。
- 1889年 サン=レミにあるサン・ポール精神病院に入院する。庭のアイリスや糸杉のある風景などを描き続ける。
- 1890年 テオが展覧会に出したゴッホの作品の一つが400フランで売れたものの、病は好転せず、オヴェール・シュル・オワーズのガシェ医師に診てもらう。
- 1890年 7月27日、夜遅くラブー亭に帰ってきたゴッホは、自分を拳銃で撃っていた。ラブー亭の主人が医者を呼んだが助けられず、パリから駆けつけたテオにみとられながら、29日に37歳の生涯を閉じる。
代表作
- 『タンギー爺さん』(1887年 ロダン美術館、パリ)
- 『麦藁帽子の自画像』(1887年 デトロイト美術研究所、デトロイト)
- 『ローヌの星月夜』(1888年 オルセー美術館《寄託》、パリ)
- 『種まく人』(1888年 クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
- 『夜のカフェテラス』(1888年 クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー)
- 『ヒマワリ』(1889年 ゴッホ美術館、アムステルダム)
- 『アルルのゴッホの部屋』(1889年 オルセー美術館、パリ)
- 『自画像』(1889年 オルセー美術館、パリ)
- 『星月夜』(1889年 ニューヨーク近代美術館、ニューヨーク)
- 『ガシェ博士の肖像』(1890年 オルセー美術館、パリ)
- 『オーヴェールの教会』(1890年 オルセー美術館、パリ)