ジェイムズ・アンソール(James Ensor)
- 1883年から仮面が、1885年頃から骸骨が頻繁に作品に登場するようになり、「仮面と骸骨の画家」といわれました。
- 骸骨は中世以来、快楽の虚しさを表すものとして描かれていました。アンソールが骸骨を好んで描いたのは、生来病弱で若い時から死を意識していたためかもしれません。
- 特異な作風は長い間理解されませんでしたが、現在では表現主義・シュルレアリスムの先駆として高く評価されています。
生涯
- 1860年 ベルギーの保養地オステンドに生まれる。父はブリュッセル生まれのイギリス人、母はオステンドの旧家の出身で、観光客相手の土産物店を営んでいた。
- 幼少期、17世紀にスペイン軍に包囲された時の多数の死者の骸骨が砂浜から掘り出されるのを目撃する。
- 1877-1880年 ブリュッセル美術アカデミーで学ぶ。卒業後はオステンドに戻り、屋根裏部屋のアトリエで制作する。
- 1881年 ロップスが主催する「蛹」グループ展に出品する。
- 1883年 ブリュッセルで前衛的芸術団体「レ・バン(20人会)」が結成され,クノップフらとともに設立メンバーとなる。
- 強烈に明るい色彩や骸骨、仮面というグロテスクな主題を描くようになり、「レ・バン」から出品を拒否される。
- 1887年 教養人ではあったが、仕事らしい仕事をしていなかった父が飲み過ぎの末、路上で死去。周囲の無理解に対する思いが制作のモチベーションになる。
- 1893年 創作意欲が急激に低下し、アトリエの作品を全て売却しようとする。
- 1894年 ブリュッセルで初の個展を開く。
- 20世紀に入る頃から次第に作品が評価され始める。
- 1920年 ブリュッセルのジロー画廊で初の大回顧展が開催される。
- 1925年 ベルギー王立アカデミーの会員になる。
- 1926年 ヴェネツィア・ビエンナーレでベルギー館に作品が展示される。
- 1929年 ベルギー国王から男爵の位を授与される。
- 1933年 レジオン・ドヌール勲章、聖オラヴ・ノルウェー第十字賞を受賞する。
- 1944年 89歳で死去。葬儀には大勢の国民が参列した。
代表作
- 『1889年のキリストのブリュッセル入城』(1889年 J・ポール・ゲティ美術館、ロサンゼルス)
- 『仮面の人ウーズの驚き』(1889年 アントウェルペン王立美術館、アントウェルペン)
- 『ストーブで暖まる骸骨』(1889年 キンベル美術館、フォートワース)
- 『陰謀』(1890年 アントウェルペン王立美術館、アントウェルペン)
- 『花飾りの帽子をかぶった自画像』(1890年 アントウェルペン王立美術館、アントウェルペン)
- 『嵐を鎮めるキリスト』(1891年 オステンド市立美術館、オステンド)
- 『ひときれの燻製ニシンを奪い合う骸骨たち』(1891年 ベルギー王立美術館、ブリュッセル)
- 『イーゼルの前の自画像』(1896-1897年 アントウェルペン王立美術館、アントウェルペン)
- 『仮面と死神』(1897年 リエージュ市立近代美術館、リエージュ)