14世紀の西欧では、ローマ教皇庁と、ドイツを中心とした神聖ローマ帝国に加えて、国力をつけてきたフランスとイギリスが政治の主導権を巡って争っていました。
そんな中、教皇庁が1309年から77年まで南フランスのアヴィニョンに移され、教皇がフランス王権の支配下に置かれるという事件が起こります(「アヴィニョン捕囚」)。
この新しい教皇庁のためにイタリアから画家が招かれ、アヴィニョンはアルプス以北において、イタリア美術の重要な発信地となりました。
14世紀は、このような地域を超えた美術の交流が活発に展開しました。これを「国際ゴシック様式」といいます。
フランスではフランコ・フラマン派、イタリアではファブリアーノ・ピサネッロなどが代表とされています。
フランコ・フラマン派
ブルゴーニュのフィリップ公シャルル5世、6世の時代、フランス王室とブルージュのベリー公、ディジョンのブルゴーニュ公、アンジェのアンジェ公の宮廷では、フランドル、ネーデルラントの画家が活躍しました。
彼らをフランコ・フラマン派と呼びます。ジャン・ピュセルの作ったフランスゴシックスタイルの優美さに、イタリアの細部描写とフランドルの写実表現と風景画を加えた新しい様式が出来上がりました。
「ベリー公のいとも豪華なる時祷諸」を制作したランブール兄弟や「大円形ピエタ」のジャン・マルエルが有名です。
イタリアの国際ゴシック
15世紀、フランスで下火になった国際ゴシックの宮廷趣味は、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノによってイタリアで受け継がれました。
ファブリアーノの「マギの礼拝」は、華麗な衣装や人物の表現、動植物の写実表現など、細部に及ぶ精緻な表現が独特の幻想的な雰囲気を生んでいます。
ファブリアーノと一緒に制作していたピサネッロによって装飾性はさらに極められ、国際ゴシックの最終形となりました。
ピサネッロは聖書の中の定番のテーマでも、独自の構想と卓越した自然の観察力、繊細な描写力で世界を表現しました。