ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour)
- 作品が、まったく画風の違う「夜の画家」と「昼の画家」の2つの系統にわかれます。「夜の画家」の作品は、聖書に題材にした夜の情景が、静謐さと深い精神性をもって厳かに描かれています。「昼の画家」の作品は、対象を写実的に描いた風俗画です。
- 没後、次第に忘却され、作品は作者不詳のままフランス各地に保管されていましたが、20世紀初頭に「再発見」されました。
生涯
- 1593年 ロレーヌ公国にパン屋の息子として生まれる。
- 当時、ロレーヌ公国はハプスブルク家の神聖ローマ帝国とブルボン家のフランスに挟まれ、新旧キリスト教の抗争に巻き込まれていた。1618年からの三十年戦争が与えたダメージは大きく、フランスとの戦いの結果、その支配下に入る。
- ラ・トゥールがいつどこで絵を学んだのか、記録は残っていない。写実的な描写や強烈なキアロスクーロにはカラヴァッジョの影響が見られる。
- ラ・トゥールの作品がローマにあるホントホルストの作品に類似していることから、イタリアに行ったという説がある。また、低地方の「カラヴァッジョ派」との関係を主張する美術史家もいる。
- 1617年 新興貴族でロレーヌ公の会計係だったジャン・ル・ネールの娘ディアーヌと結婚。二人の間には10人の子どもが生まれ、息子エティテンヌが画家となった。
- 1620年 妻の故郷リュネヴィルに移住し、ロレーヌ公に特権的な社会的地位を訴えて税金の免除を申請している。
- 1623年 ロレーヌ公がラ・トゥールから絵を購入。
- 1638年 フランス軍がリュネヴィルに進軍し、放火、略奪を行う。
- 1639年 代父(洗礼式に立会って神に対する契約の証人となる役割をする者)をつとめた際の証書に「国王付きの画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」とある。この年の支払い命令により、ラ・トゥールはパリにいたことがわかっている。
- 1643年 アンリ・ド・ラ・フェルテ=センヌテールがロレーヌ総督に選ばれると、心付けとしてラ・トゥールの絵を要求した。その後、ラ・フェルテには『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』『聖ペテロの否認』などが贈られている。
- 1652年 妻ディアーヌ、ラ・トゥールともに死去。
- 生前は名声を得ていたラ・トゥールだが、死後その名前は忘れ去られ、20世紀になってヘルマン・フォスにより再発見されるまで、作品はムリーリョやスルバランの作と間違われていた。
- シャルル4世によって貴族に叙せられ、領主の地位を得た息子のエティテンヌが、画家だった父の出自を隠そうとしたためともいわれている。
- 現在、真作と確認されているのは40点あまりしかない。
代表作
- 『読書する聖ヒエロニムス』(1621-1623年頃/ハンプトン・コートロイヤル・コレクション、ロンドン)
- 『聖トマス』(1624年頃/国立西洋美術館、東京)
- 『老人』(1624-1650年頃/デ・ヤング美術館、サンフランシスコ)
- 『聖ヒエロニムス』(1624-1650年頃/グルノーブル美術館、グルノーブル美術館)
- 『聖ヒエロニムス』(1624-1650年頃/ストックホルム国立美術館、ストックホルム)
- 『聖ヨセフの夢』(1628-1645年頃/ナント美術館、ナント)
- 『いかさま師 (クラブのAを持った)』(1632-1635年頃/キンベル美術館、フォート・ワース)
- 『いかさま師 (ダイヤのAを持った)』(1635-1638年頃/ルーヴル美術館、パリ)
- 『女占い師』(1632-1635年頃/メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
- 『悔悛するマグダラのマリア(ゆれる炎のあるマグダラのマリア)』(1635-1638年頃/カウンティー美術館、ロサンゼルス)
- 『悔悛するマグダラのマリア(ふたつの炎の前のマグダラのマリア)』(不明/メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
- 『大工の聖ヨセフ』(1640年頃/ルーヴル美術館、パリ)
- 『聖誕』(1645年頃/レンヌ美術館、レンヌ)
- 『煙草を吸う男』(1646年頃/東京富士美術館、東京)
- 『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』(1649年頃/ルーヴル美術館、パリ)