作品詳細
- Title:最後の審判
- Artist:ミケランジェロ・ブオナローティ
- Date:1537-1541年頃
- Dimensions:1370cm×1200cm
- Medium:フレスコ
- Collection:システィーナ礼拝堂、ヴァチカン宮殿
作品解説
ミケランジェロは、ローマ教皇クレメンス7世からシスティーナ礼拝堂の祭壇画を描くよう依頼されたときは、制作に着手しませんでした。
しかし、クレメンス7世の次のローマ教皇パウルス3世からも制作を望まれたため、天井画の完成から20年以上を経て、1535年、60歳の時に制作に取りかかりました。
『最後の審判』は、教会でよく描かれた主題ですが、入り口の壁面に描かれるのが一般的です。
キリスト教では、世界の終末にキリストが再び現れ、死者もすべて蘇って最後の審判が行われ、天国と地獄に行く人に分けられるとされています。
当時、宗教改革の嵐がヨーロッパを吹き荒れ、教皇の権威は低下していました。1527年の「ローマの劫略」ではドイツ兵がヴァチカンに攻め込み、クレメンス7世がローマから脱出する事態にもなりました。
そのため、教皇や教皇庁が神の正しい裁きを強く願い、『最後の審判』が礼拝堂正面に描かれたという説があります。
この作品では、400人もの人物がひしめき、人体は天井画のときよりもさらに筋肉質にたくましく、立体的になっています。
壁画の上半分は、聖人たちのいる天上世界で、キリストを中心に十二使徒や聖人、殉教者が描かれています。
キリストの下方では、天使たちが「最後の審判」の始まりを告げるラッパを吹き鳴らしています。
天使の左に(キリストの右側)に天国へ行く義人、右(キリストの左側)に地獄へ行く罪人がいます。
義人と悪人の区別がはっきりせず、天使に翼がなく人間と見分けがつきにくいのが、それまでにないミケランジェロ独自の表現です。
その右側では、地獄の王ミノスのもとに罪人を運ぶ川の渡し守カロンが、櫂を振り上げています。
ミノスのモデルは、ミケランジェロの裸体像を批判した法王庁儀典監督ビアージョ・ダ・チェゼーナで、悪魔に囲まれ、陰部をヘビに咬まれた自分の絵を見て、教皇パウロ3世になんとかして欲しいと直訴しましたが、「地獄のことは私の手に負えない」とあしらわれたというエピソードが残っています。
ミケランジェロは『最後の審判』を描くにあたり、ダンテの神曲「地獄篇」からインスピレーションを得たと言われています。
キリストの右下で自分の皮を持つ聖バルトロマイ(皮剥ぎの刑で殉教)がいますが、その皮の顔がミケランジェロの自画像といわれています。
この絵が発表されると、全裸が不道徳であるという非難の声が枢機卿らから上がり、トレント公会議で腰布を描くことが決定され、別の画家による加筆が行われました。
20世紀後半に大規模な修復が行われた際、最初に描き加えられたダニエーレ・ダ・ヴォルテッラらによる腰布だけが残され、あとはオリジナルの絵になっています。
この修復が行われるまで、ミケランジェロの絵画はくすんだ色彩が特徴と思われていましたが、鮮やかな色遣いをしていたことが明らかになりました。
背景の青は、スクロヴェーニ礼拝堂と同じく、非常に高価なラピスラズリによる顔料が使われています。