19世紀の前半から半ばにかけて、コローとミレーがフランス美術に新しい息吹をもたらしました。
彼らは現実から多くを学び、戸外での写生によって自然のあるがままの姿を描く技術を習得しました。そのうえで、対立する概念であった自然と人間との関係に対する新しい解釈を美術に持ち込み、それを融合させるような方向を目指しました。
コローは名もないありきたりのフランスの田舎の風景のなかに、個人の体験や生活を理想的に描こうとしました。
ミレーは当初はロココ風の絵を描いていましたが、コレラから逃れるためにパリからバルビゾン村に移り住み、農民を描くようになりました。
バルビゾン村はパリから交通の便がよく、1830年ごろから風景をスケッチする画家たちが頻繁に訪れるようになっていました。
バルビゾン派はテオドール・ルソーやジュール・デュプレのように風景画を描く画家、ジャックやコンスタン・トロワイヨンのように家畜を描く画家などがいて、その分野は多岐にわたっています。