太陽王ルイ14世が1715年に亡くなると、曽孫のルイ15世が5歳で即位し、オルレアン公フィリップが摂政として国政を仕切りました。
壮麗で威圧的なバロックから、軽やかで優美なロココへの転換は、このオルレアン公の摂政時代にほぼ対応しています。ヴァトーはまさにこの時代の上流階級の「雅宴」を描きました。
ロココの芸術と文化はフランスを発信地としてヨーロッパ各国に伝播しましたが、これを支持したのは、急速に力をつけてきた市民階級でした。
ロココという名称は、ロカイユという貝殻状の人造石に由来します。はじめは室内装飾などに使われていたことからもうかがえるように、ロココの新しさは「用と美」の調和にありました。
絵画・彫刻だけではなく、ファッション、インテリア、家具、食器などの分野にも影響が及び、マイセン、ウースター、セーヴルなどの名窯が次々に誕生しました。
この時代の「顔」ともいえるルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、ブーシェやフラゴナールを庇護しました。彼らが繰り返し描いた彼女の肖像は、ロココ趣味の典型であると同時に、ロココという時代を象徴しています。