エドゥアール・マネ(Édouard Manet)
- 主題の扱い方や色彩表現において革新をもたらし、西洋近代絵画の父といわれます。
- マネはサロンにこだわり、印象派展には出品していません。しかし、印象派の画家たちに大きな影響を与えたため、印象派の先達とされています。
生涯
- 1832年 パリで、父が司法省の高級官僚、母が外交官の娘というブルジョワ階級の家庭に生まれる。
- 1844年 名門中学コレージュ・ロランに入学。
- 叔父にデッサンの手ほどきを受け、画家を志願するが、代々法律家を輩出する家系の出であった父オーギュストに猛反対される。
- 1848年 両親の意向で海軍兵学校を受験するが失敗。再試験を待つ間、商船で見習い船員となり、南アメリカへ半年間航海に出る。
- ピアノ教師シュザンヌ・レーンホフと恋愛関係になる。20歳の時に長男レオンが誕生するが、世間には隠す。
- 1850-1856年 官展(サロン)派の画家トマ・クチュールのもとで学ぶ。
- 1861年 サロンに初入選。
- 1863年 第1回落選展に『草上の昼食』を出品し、スキャンダルを引き起こす。スザンヌ・レーンホフと結婚。父オーギュストが二人の結婚に反対だったため、その死後ようやく結婚できた。
- 1865年 サロンに入選した『オランピア』が、さらに人々の怒りを買い、スペインへ逃避。ベラスケスの影響を受ける。
- 1867年 パリ万国博覧会で、個展を開く。
- 1860年代後半 芸術家たちが議論の場として集っていたカフェ・ゲルボアで、のちの印象派のメンバーと交流する。
- 第二帝政期のパリに一種の高等遊民(フラヌール)として存在し、醒めた観察眼をつマネは、この若く無名な画家のグループと一線を画するところがあった。
- 10代で罹った梅毒がもとで40代以降は運動失調症になり、徐々に歩行困難となる。
- 1883年 51歳で死去。
代表作
- 『テュイルリー公園の音楽会』(1862年 ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
- 『草上の昼食』(1863年 オルセー美術館、パリ)
- 『オランピア』(1863年 オルセー美術館、パリ)
- 『笛を吹く少年』(1866年 オルセー美術館、パリ)
- 『エミール・ゾラの肖像』(1868年 オルセー美術館、パリ)
- 『バルコニー』(1869年 オルセー美術館、パリ)
- 『休息(ベルト・モリゾの肖像)』(1870年 ロードアイランド装飾美術学校付属美術館、ロードアイランド)
- 『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』(1872年 オルセー美術館、パリ)
- 『鉄道』(1873年 ナショナル・ギャラリー、ワシントン)
- 『オペラ座の仮面舞踏会』(1873年 ナショナル・ギャラリー、ワシントン)
- 『ステファヌ・マラルメの肖像』(1876年 オルセー美術館、パリ)
- 『ナナ』(1877年 ハンブルク美術館、ハンブルク)
- 『ラテュイユ親父の店にて』(1879年 トゥルネ美術館、トゥルネ)
- 『フォリー=ベルジェールのバー』(1882年 コートールド美術研究所、ロンドン)