ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)
- イタリア絵画史上初の純粋な静物画を制作しました。
- 聖人を庶民の姿で描くなど、当時の宗教画にあった厳格な規制に反して、依頼主から作品を拒絶されることもありました。
- しかし、カラヴァッジョの絵画の特徴だった、強烈な明暗の対比(キアロスクーロ)やドラマチックな構図は数多くの追随者を生み、彼らはカラヴァッジスト(カラヴァッジョ派、カラヴァッジェスキ)と呼ばれました。
生涯
- 1571年 カラヴァッジョ侯爵家の邸宅管理人かつ室内装飾担当だった父フェルモ・メリージの子としてミラノに生まれる。
- 1576年 ペストで荒廃したミラノを離れ、一家でカラヴァッジョ村へ移る。
- 1584年 ミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノに弟子入りする。
- 1592年 犯罪が原因でミラノにいられなくなり、21歳のときローマに行く。
- 初めは貧しかったが、ジュゼッペ・チェーザリなどの工房で技量を上げ、『女占い師』や『トランプ詐欺師』など、当時見られなかった主題の絵画を描く。
- フランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿に気に入られて、邸宅に住むことを許され、『聖マタイの召命』で一気に人気画家になる。しかし、素行の悪さは変わらず、暴行や器物損壊、武器不法所持など犯罪を重ねる。
- 1606年 34歳の時に殺人事件を起こし、「死刑宣告」が出たためローマから逃亡。ローマの司法権が及ばないナポリへ向かう。ここで貴族コロンナ家の庇護を受け、『ロザリオの聖母』『7つの慈悲』など次々と作品を制作。
- 次に聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)が治めるマルタへ行き、騎士となる。カラヴァッジョの作品の中で最も大きな『洗礼者ヨハネの斬首』などを手がけるが、また事件を起こして投獄され、脱獄してシチリア島へ逃れる。騎士団の追手に追われてシチリア島内を転々とした後、再びナポリへ戻るが、何者かに襲われて重傷を負う。
- 1610年 ローマの有力者たちの働きかけで恩赦が出されることになり、船でローマに向かうが、途中で熱病に倒れ死去。
代表作
- 『リュートを弾く若者』(1590年頃/エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク)
- 『病めるバッカス』(1593年頃/ボルゲーゼ美術館、ローマ)
- 『果物籠を持つ少年(果物売り)』(1593年頃/ボルゲーゼ美術館、ローマ)
- 『トランプ詐欺師』(1594年頃/キンベル美術館、テキサス)
- 『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(1595-1596年頃/ローマ国立美術館、ローマ)
- 『果物籠』(1596年頃/アンブルジアーナ絵画館、ミラノ)
- 『エマオの晩餐』(1596年頃/ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
- 『女占い師(ジプシー女)』(1596年頃/ルーヴル美術館、パリ)
- 『聖マタイの召命』(1599-1600年頃/サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂、ローマ)
- 『キリストの埋葬』(1600年/ヴァチカン美術館、ローマ)
- 『聖ペテロの磔刑』(1601年/サンタ・マリア・デル・ポポロ教会チェラージ礼拝堂、ローマ)
- 『勝ち誇るアモール(愛の勝利)』(1602年頃/ベルリン国立絵画館、ベルリン)
- 『ロレートの聖母』(1604-1606年頃/サンタゴスティーノ教会、ローマ)
- 『聖アンナと聖母子』(1605-1606年/ボルゲーゼ美術館、ローマ)
- 『ダヴィデとゴリアテ(ゴリアテの首を持つダビデ)』(1609-1610年/ボルゲーゼ美術館、ローマ)