ルノアール

ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)

renoir

  • 初期の作品は、色彩分割(筆触分割・・・絵の具は混ぜると濁って暗くなるので、絵の具を並べて視覚混合で見せたい色にする技法)が特徴です。
  • 作家エミール・ゾラが「彼はなによりも人物像の画家だ。ルノワールの主な特色は見事に調和しながら次第に変化してゆく明るい色調にある」と語ったように、若い女性や子ども、裸婦を数多く描きました。
  • 晩年の作品になると、描かれた女性の顔が似通っていてモデルが特定できなくなります。ルノワールは肖像画よりも「女性の美」を描くことに関心がありました。

生涯

  • 1841年 磁器の産地として有名なフランスのリモージュに生まれる。父は仕立屋、母はお針子だった。
  • 1854年 13歳で磁器工場に入り、絵付職人の見習いとなる。
  • 1858年 職人の仕事を失ったため、画家を目指す。
  • 1862年 シャルル・グレールの画塾(アトリエ)に入り、モネやバジールなど、のちの印象派の画家たちと知り合う。
  • 1862年 エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学する。
  • 1864年 サロンに初入選する。
  • 1868年 カフェ・ゲルボワでマネやドガと知り合う。
  • 1870年からの普仏戦争とその後に続くパリ・コミューンの時代は、モネとセーヌ河畔で戸外での制作に取り組む。
  • 1873年 モネ、ピサロ、シスレーらが結成した「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他による匿名協会」に名を連ねる。
  • 1874年 後に「第1回印象派展」と呼ばれるこのグループの第1回展に、『桟敷』など7点を出品する。
  • 1876年 第2回印象派展には『ぶらんこ』、『陽光の中の裸婦』など15点を出品。裸婦の木漏れ日の影の表現が「死体の腐乱状態を示す緑や紫がかった斑点」と酷評される。
  • 1879年 サロンに出した『シャルパンティエ夫人と子どもたち』が評価され、成功への足掛かりとなる。
  • 1880年 39歳のときにのちに妻となるアリーヌ・シャリゴと出会い、彼女もモデルとなっている大作『ボート遊びの人々の食事(舟遊びをする人たちの昼食)』をレストラン「ラ・フルネーズ」で描く。
  • 1880年代 自らの画風に疑問を感じ、イタリアの巨匠や新古典主義のアングルから影響を受けた作品を描く。ルノワールの特徴である柔らかな筆致が消え、「硬い時代」と呼ばれる。
  • 1890年代 また元の画風に戻り、以降の作品は「真珠色の時代」と呼ばれる。
  • 1890年 アリーヌと結婚。
  • 1892年 パリで回顧展が開かれ、国が作品を買い上げるなど社会的、経済的に成功をおさめる。
  • 1900年 パリ万国博覧会に11点を出品。レジオン・ド・ヌール・シュヴァリエ賞を受賞する。
  • 1905年 リューマチの療養のため、南仏カーニュ・シュル・メールに移り住む。
  • 1907年 農家を購入してコレット荘を建て(現在のルノワール美術館)、妻アリーヌ、三男クロード、妻の従姉妹ガブリエル、弟子のアルベール・アンドレと一緒に住む。ここへは画商ヴォラールや画家がたびたび訪問し、梅原龍三郎も1909年に師事している。
  • ガブリエルは次男ジャンが生まれたころ、16歳でルノワール家のお手伝いとなり、数多くの作品のモデルをつとめた。
  • 晩年、進行したリューマチのため車椅子での生活になりながらも制作意欲は衰えず、絵のほかに彫刻や陶磁器の絵付けも手がける。
  • 1919年 78歳で死去。

代表作

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