ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)
- レンブラントと並んで17世紀のオランダ美術を代表する画家で、市民の日常の情景を描きました。風俗画でありながら、フェルメールの作品は時間が止まったかのような静謐さをたたえています。
- ハイライト部分などにポワンティエ(点綴法)が用いられていることから、作品を制作するためにカメラ・オブスキュラを使ったと推測されています。
- 生涯についてはあまり知られておらず、20年以上にわたるフ画家生活で、現存する作品数が40点弱と寡作なのは、義母が裕福だったことに加えて、ファン・ライフェンの援助が大きかったと思われます。
- 1662年、70年の二度、聖ルカ組合の理事に選ばれていることは、フェルメールが画家として高い評価を得ていたことを示しています。
生涯
- 1632年 織物職人として活動するかたわら画商・宿屋を営んでいた父のもと、オランダのデルフトに生まれる。
- 1653年 裕福なカタリーナ・ボルネスというカトリック教徒と結婚。フェルメールはプロテスタントであったため、義母から結婚を反対される。
- 1653年 聖ルカ組合に親方として登録されているが、誰のもとで修行したかはわかっていない。画風から、ユトレヒトのカラヴァッジスト、フランドルの画家などから影響を受けたと考えられる。
- 聖書や神話に基づく絵を描く歴史画家としてスタートしたが、次第に市民の日常の生活を描く風俗画を描くようになる。市民が力をつけていた当時のオランダでは、風俗画の需要が高かったためと思われる。その際、風俗画で先に活躍していたヘーラルト・テル・ボルフとピータル・デ・ホーホの影響を受ける。
- 1655年 実家の居酒屋・宿屋の経営に携わるようになる。このほか、画商も生業にしている。
- 1657年 デルフトの醸造業者ピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンがパトロンになる。
- 1670年代になると、第三次英蘭戦争の影響でオランダ経済が急速に悪化して、絵が売れなくなり、自分の作品ばかりか、画商として抱えていた作品も売れずに大きな負債を抱える。
- 1675年 43歳でデルフトにて死去。
代表作
- 『取り持ち女』(1656年/アルテ・マイスター絵画館、ドレスデン)
- 『デルフトの小路』(1658年頃/アムステルダム国立美術館、アムステルダム)
- 『牛乳を注ぐ女』(1658-1660年頃/アムステルダム国立美術館、アムステルダム)
- 『手紙を読む女』(1659年頃/アルテ・マイスター絵画館、ドレスデン)
- 『デルフトの眺望』(1660-1661年頃/マウリッツハイス美術館、ハーグ)
- 『音楽のレッスン』(1662-1665年頃/王室コレクション、ロンドン)
- 『天秤を持つ女』(1664年/ナショナル・ギャラリー、ワシントン)
- 『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃/マウリッツハイス美術館、ハーグ)
- 『絵画芸術の寓意』(1666-1667年頃/ウィーン美術史美術館、ウィーン)
- 『地理学者』(1669年頃/シュテーデル美術館、フランクフルト)
- 『手紙を書く婦人と召使い』(1670-1672年頃/アイルランド国立美術館、ダブリン)