ピーテル・パウル・ルーベンス(リュベンス、Peter Paul Rubens)
- 力強く壮麗な作風で、バロック期を代表する画家です。
- 肉づきのよい豊満な女性像が特徴で、「肉屋のルーベンス」ともいわれます。
- 画家として成功して大工房を運営するだけでなく、人文主義学者、外交官としても活躍しました。
生涯
- 1577年 ドイツのジーゲンで生まれる。
- 1590年 夫に先立たれて生活に困っていた母マリアは、13歳のルーベンスをフィリップ・フォン・ラレング伯未亡人のマルグレーテ・ド・リーニュの下へ小姓に出す。ここで芸術的素養を見込まれ、アントウェルペンの画家組合、聖ルカ・ギルドへの入会を認められる。
- トビアス・フェルハーフト、アダム・ファン・ノールト、オットー・ファン・フェーンに師事する。
- 1600-1608年 マントヴァ公の宮廷画家となってイタリア各地に滞在し、古代彫刻やレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの作品を見て回る。ヴェロネーゼ、ティントレット、ティツィアーノ、カラヴァッジョらから影響を受ける。
- 1608年 アントワープに戻り、ネーデルラント総督(オーストリア大公アルブレヒト7世)夫妻によって宮廷画家に任命される。
- 1609年 アントウェルペンの有力者ヤン・ブラントの娘イザベラと結婚する。
- 多くの弟子を抱えた工房を持ち、チャールズ1世やフェリペ4世などヨーロッパ中の王侯貴族や教会の注文を受けて、大作を次々と制作する。人物をルーベンスが担当し、花や動物を専門の画家が描く共同制作も積極的に行う。
- 1630年 53歳の時、最初の妻の姪である16歳のエレーヌ・フールマンと再婚。
- 1640年 5月30日死去。62歳。アントウェルペンの聖ヤーコプ教会に埋葬される。
代表作
- 『サムソンとデリラ』(1609年/ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
- 『ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像』(1609-1610年/アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン)
- 『キリスト昇架』(1610-1611年/聖母マリア大聖堂、アントウェルペン)
- 『キリスト降架』(1611-1612年 アントワープ大聖堂)
- 『ケレスとバッコスがいないとヴィーナスは凍えてしまう』(1612-1615年頃/カッセル州立美術館、カッセル)
- 『四大陸』(1615-1616年/ウィーン美術史美術館、ウィーン)
- 『最後の審判』(1615-1618年/アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン)
- 『レウキッポスの娘たちの掠奪』(1616-1618年頃/アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン)
- 『アマゾンの戦い』(1618-20年頃/アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン)
- 『シュザンヌ・フールマンの肖像』(1622年頃/ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
- 『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸(「マリー・ド・メディシスの生涯」より)』(1622-1625年/ルーヴル美術館、パリ)
- 『三美神』(1635年頃/プラド美術館、マドリード)
- 『エレーヌ・フールマンの肖像(毛皮ちゃん)』(1635-1640年頃/ウィーン美術史美術館、ウィーン)
- 『ステーンの城館のある風景』(1636年頃/ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
- 『戦争の惨禍』(1637-1638年頃/ピッティ美術館、フィレンツェ)
- 『パリスの審判』(1639年頃/プラド美術館、マドリード)