世紀末の装飾芸術は、1900年のパリ万国博覧会を頂点に終息に向かい、若い芸術家たちの意識は「純粋」な絵画へ向けられます。
1903年設立のサロン・ドートンヌは、アンデパンダン展とともに、こうした新しい芸術家たちの登場の場となりました。
マティスは後期印象主義や新印象主義の理論に関心を抱いていました。1904年、シニャックから点描を習い、色彩を画面を構成する独立した要素として理解するようになったマティスは、翌年、ドランとともに制作します。
1905年のサロン・ドートンヌでは、マティスの作品をはじめ、ドランやルオー、ヴラマンク、マンギャン、マルケらの作品が同じ第7室に展示されました。批評家ヴォークセルがマティス、ドラン、ヴラマンクの作品を野獣(フォーヴ)に例えたことから、彼らはフォーヴと呼ばれるようになります。
フォーヴの画家たちの作品は、鮮やかな色彩と大胆な筆遣いで形態を単純化し、平面的な色彩で自由に構成された画面を特徴としました。
彼らは、同門や友人としてグループ展などの活動はしたものの、自分たちを特定の芸術家集団として意識していたわけではなく、共通の方法論を確立していたわけではありませんでした。
共通の関心や問題意識で一時期方向性を同じくしたものの、フォーヴ熱が冷めると、数年後には別々の展開をしていくことになります。