15世紀のネーデルラント美術は、フランドル地方の各都市のほうが経済的に豊かなこともあって、南部を中心に展開しました。
北ネーデルラントで修業した画家が南下して、フランドルで活躍する例も少なくありませんでした。
16世紀の宗教改革期になると、宗教図像に対する考え方に変化が現れます。1566年には全ネーデルラントに聖像破壊運動がおこり、とくに北部オランダ地方では新教徒による祭壇画の破壊が続きました。
そのため、この地方で現存する15世紀の作品は少なくなっています。
アルベルト・ファン・アウワーテルは、ファン・マンデルの「画家の書」によれば、ハールレムの画家で、風景描写に秀でていたといいます。しかし、現存する確実な作品は、室内画の1点のみです。
ヘールトヘント・トット・シット・ヤンスは、ファン・マンデルの記録によれば、ファン・アウワーテルの弟子で、28歳ぐらいで亡くなっています。
彼はハールレムの聖ヨハネ騎士団のために大作「磔刑の祭壇画」を制作しました。現在は翼画の内外2面しか残っていませんが、「聖ヨハネの遺骨の焼却」には、戸外描写や集団肖像画的な描写にオランダ地方の画家らしい特色が出ています。
「夜の降誕」は、ファン・デル・フースの作品に基づいて描かれていますが、生まれたばかりのイエスから発する光をほとんど唯一の光源にすることで、明暗の度合いをいっそう強めています。