1880年代になると、印象派の画家たちの結びつきは薄くなり、1886年の印象派展が最後の開催になりました。
モネをはじめとした印象派の画家たちは、純粋な「目」になろうとしました。しかし、後期印象派のセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホは、それだけでは満足できず「絵とは何をすべきか」を改めて追求しました。
この3人は技法も理念も異なっていますが、この3人によって20世紀の絵画の進む道が示されました。
セザンヌはピサロの誘いで第1回と第3回の印象派展に参加しましたが、自然の見方が印象派と違っていました。セザンヌは「印象主義を、美術館の芸術のように堅固で持続性のあるものにしたい」と考え、形や空間のとらえ方に新しい視点を持ち込み、構築された絵画を追求しました。
セザンヌにとって絵画とは現実を再現するものではなく、固有の論理をもって独立した世界でした。
ゴーギャンは日曜画家として出発し、ピサロとの親交を得て画家になります。はじめは印象派風の絵を描いていましたが、その後想像力を重視した構成画を描くようになりました。はっきりした輪郭線や平坦な色面が特徴のこの手法は「総合主義」と呼ばれ、ブルターニュのポン・タヴェン村にゴーギャンの刺激を受けた画家が集まり、ポン・タヴェン派と呼ばれました。
この様式は、その後、ナビ派に受け継がれます。
ゴッホにとって、色彩は感情を表すための要素でした。ゴッホの激しい筆致と色彩は表現主義やフォーヴィスムの画家たちに影響を与えます。