ピエール・ボナール(Pierre Bonnard)
- 親密派(アンティミスム)の代表的な画家。室内や家族など身近な題材を個人の内面世界を反映させて描きました。
- 華麗な色彩表現から色の魔術師と呼ばれ、印象主義とルノワールの画風を継承しました。
生涯
- 1867年 陸軍省の役人の息子としてパリ郊外に生まれる。
- 1885年 大学の法学部へ入学する。
- 1887年 アカデミー・ジュリアン夜間部に通い、モーリス・ドニ、ポール・セリュジエらと知り合う。
- 1888年 セリュジエを中心に、後にナビ(預言者)派と呼ばれるグループを結成する。
- 1889年 エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入り、ヴュイヤールと知り合う。「フランス・シャンパン」ポスターの公募で優勝する。
- 1890年 アンデパンダン展に初めて出品する。エコール・デ・ボザールで開催された日本美術展を見て感銘を受ける。画家仲間からナビ・ジャポナール(日本かぶれのナビ、日本的なナビ)と呼ばれるほど、日本趣味(ジャポニズム)に傾倒する。
- 1893年頃 のちに妻となるマリア・ブルサン(通称マルト)と出会う。これ以降の作品に描かれている女性は、ほとんどマルトがモデルになっている。
- 1896年 画商デュラン=リュエルの画廊で初の個展を開催する。
- 39歳でベルネーム・ジュス画廊と契約を結び、収入が安定する。
- 1925年 マルトの療養もかねて南仏ル・カルネにル・ボスケ(茂み)と呼んだ別荘を購入する。
- 1947年 ル・カルネで死去。79歳。
代表作
- 『戯れる二匹の犬(2匹のプードル犬)』(1891年頃 サウサンプトン市立美術館、サウサンプトン)
- 『クロッケーの試合』(1892年 オルセー美術館、パリ)
- 『砂遊びをする子供』(1894年 オルセー美術館、パリ)
- 『兎のいる屏風』(1902年 個人蔵)
- 『逆光の裸婦(薔薇の長椅子のある化粧室、オー・デ・コロン)』(1908年 ベルギー王立美術館、ブリュッセル)
- 『田舎の食堂』(1913年 ミネアポリス美術研究所、ミネアポリス)
- 『棕櫚の木(ヤシの木)』(1926年 フィリップス・コレクション、ワシントンD.C.)
- 『朝食の部屋(庭に面した食堂)』(1930-1931年頃 ニューヨーク近代美術館、ニューヨーク)
- 『白い部屋(ル・カンネ)』(1932年 グルノーブル美術館、グルノーブル)
- 『浴槽の裸婦』(1937年 プティ・パレ美術館、パリ)