19世紀初頭における西欧美術の主流は、古代ギリシャ・ローマを源とし、イタリア・ルネサンスに花開き、フランスに受け継がれる地中海文化圏の伝統でした。
このラテン系民族の美術に比べ、ドイツの美術は宗教改革に続く混乱期以降、きわだった成果がありませんでした。
ナショナリズムの時代を生きたドイツ・ロマン主義の画家たちの課題は、いかにしてドイツ固有の文化を再生させるかということでした。
しかし、同じドイツ語圏でもカトリックが優勢な南部とプロテスタントが多数派である北部では文化のあり方が大きく異なります。こうした文化的土壌の違いに呼応するかのように、ドイツ・ロマン主義の美術は北部のフリードリヒ、ルンゲらの個別の活動と、オーヴァーベックとプフォルを中心に形成されたナザレ派の2つに分けられます。
フリードリヒはドイツの自然を描き、写実的に見えながら観念性を強く感じさせる世界を表現しました。ルンゲは宗教感情に基づいた寓意的な風景画を描き、超越的な世界を暗示しようとしました。
いっぽう、ナザレ派はデューラーとラファエロを理想と仰ぎ、ローマに移って初期ルネサンスの作品から学び、歴史画の伝統に新生面を開きました。その後、ナザレ派はドイツ画壇の中枢を占め、イギリスのラファエル前派やフランスのアングルらに影響を及ぼしました。