ベオグラード駅は1884年開業。
別の場所にベオグラード中央駅が2018年にできたことで、現在は役目を終えています。
私と友人は、ここから陸路でブダペストに向かいました。
コンパートメントではコソボ出身の人たちと乗り合わせました。彼らはこれからドイツに出稼ぎに行くと話していたのですが、国境の検問で降ろされてそのまま戻らず。
当時は決死の覚悟で東側から西側へ脱出する人がいた時代。座席の下など人が隠れられそうなところは全部チェックされるくらい、国境での検問は厳しいものでした。どこの国境だったか忘れましたが、係員がシェパードを連れて乗り込んできたこともありました。
最近、ベラルーシで鉄道の写真を撮って拘束された人がいましたが、もちろん当時のソ連・東欧諸国でも撮影禁止の場所を撮ってしまう危険性はありました。
現にブダペストでうっかりそういう建物にカメラを向けてしまったらしく?、警察に見とがめられて注意されたことがあります。
とはいえ、外を歩いているときに人々がこちらに向けてくる視線の「ピリピリ度」は、この前年に訪れたソ連に比べると、ベオグラード、ブダペストは格段にゆるかった気がします。
ソ連では一眼レフのカメラを首から下げていると、穴が開くほど凝視してくる人が多く、その遠慮会釈のない視線はなかなか怖かったです。
シベリア鉄道に乗った時、当時ウラジオストックは外国人立ち入り禁止だったので、ナホトカからの乗車だったのですが、ナホトカ駅から郊外に出るまで、外の景色が見えないように延々と鉄道の高さまで目隠し用の木の柵が続いていました。
まあ、木の柵はオンボロ、ガタガタ(ソ連的な雑な仕事!)で、けっこう外は見えたのですが(笑)。
ナホトカからモスクワまでは、ガイドという名の監視役かというような、サービス精神ゼロのツンケンした女子学生(もう結婚して子どもがいた、ソ連には「子なし税」があったので、学生でも結婚、出産している人は珍しくなかった)がついてきました。
モスクワに着くまでに外国人が観光できる都市は2つしかなく、ひたすら鉄道に乗りづめ。外の景色はいっこうに変わらず、退屈でした。
数年後、当時住んでいた町の商店街で家族連れの彼女にばったり出くわし、幽霊でも見たような気になったのを覚えています。