ユーゴスラビアの写真をスキャンしていて、何かユーゴスラビアの映画が見たくなり、U-NEXTで探して見たのが「ある愛へと続く旅」。
舞台はサラエボ。サラエボもオリンピックで名前を知っていたので、行先候補ではあったけど、そこまで見たいものもなさそうだったのでパスしたのでした。
主人公の一人、アメリカ人カメラマンのディエゴ(エミール・ハーシュ)は、初見から共感できないタイプでしたが、だんだん映画が進むにつれて、もっと嫌な感じになって終了(せめてペネロペ・クルスに釣り合うくらいかっこよければワンチャン許されたかもw)。
彼氏持ちのジェンマに一目ぼれして一方的にせまる→幼少期のトラウマがあるくせにやたらと子どもを欲しがり(たぶん本当に人の親になる覚悟はできてない)、不妊体質のジェンマを追い詰める→自分の薬物履歴のせいで養子不可→サラエボで代理母を依頼(私は代理母は人身売買と同じという認識なので、これをやる夫婦はもう人間のクズ決定)→実は代理母のアスカが生んだのは、セルビア軍によるレイプでできた子なのに、それを隠してジェンマに託す→自分はイタリアに戻らず自殺
本当にジェンマに対して、最後は1ミリも愛情がなくなっていたんだなという仕打ち。アスカがレイプされたのを助けられなかったことに対する贖罪のつもりでも、その結果生まれた子をジェンマに育てさせる意味がわかりません。
あと、ジェンマが赤ちゃんを連れてサラエボからイタリアに戻るときに、監督のセルジオ・カステリットが演じる現夫と偶然知り合って助けてもらえたからよかったけど、普通はそんなに次から次へと切れ目なく男が現れますかね?(ペネロペ・クルスの美貌をもってすれば何でもアリ??まあ、この映画、最初から最後までそれで成り立っているとも言えますがwww)
ジェンマ視点からすれば、なんとも胸糞悪い結末なのに、なにか最後めでたしめでたしみたいになってるのはなぜ!?
愛しい夫の忘れ形見と思えば育てられた面もあるでしょうに、反抗期真っ盛りで悪態ばかりつく息子(ピエトロ)が、見知らぬセルビア兵の子どもだと知ったら、あの場で事実を全部ぶちまけて、ピエトロをアスカに押し付けて帰るパターンもありそう(どうでもいいけどピエトロ役のピエトロ・カステリットはセルジオ・カステリットの実子だとか。ややこしい)。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の市民の様子、ムスリムであるボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われたことがわかった点のみが収穫。