F1 イギリスGP 1992 ⑦ 予選1日目

ウィリアムズ・ルノー/ナイジェル・マンセル

ナイジェル“大英帝国の愛すべき息子”マンセル。

1986、87年とあと一歩のところでタイトルを逃し、これはもう「無冠の帝王」確実かと思われていましたが、この年最強のマシンを得て、あの伝説の1988年マクラーレン・ホンダでセナが作った最多PP、最多勝の記録を塗り替え、ぶっちぎりで悲願のタイトルを手にしました。

Williams-Renault, Nigel Mansell/1992 British Grand Prix/Day1

ウィリアムズ・ルノー/ナイジェル・マンセル

マンセルはウイリアムズに来る前はフェラーリにいたのですが、アラン・プロストが移籍してきて、プロストともチームとも仲が険悪になり、一度は引退を表明。しかし後でそれを撤回し、ウィリアムズで2度目となるシートを得ていたのです。まさに災い転じて福となす。

この予選でも、同僚のパトレーゼに+1.919の差をつけて、文句なしのポールポジションでした。

私がマンセルのレースで一番印象に残っているのは、それまでのテストでまともに走れてなかったフェラーリ・640を駆って優勝した1989年の開幕戦ブラジルGP。いつか壊れて止まるでしょと高をくくって見ていたら、最後までもってびっくりした覚えがあります。

マンセルにはこういう何かマシンのポテンシャルを超えた走りをする能力があった気がします。ただしその一方で、直情径行的な振る舞いが目立ち、ムラがあるというか、雑というか、あまり頭を使った走りができない感じでした(この辺はベルガーに通じるものがあります)。

ウィリアムズ・ルノー/リカルド・パトレーゼ

この頃はまだタバコの広告がOKだったので、メインスポンサーがタバコのチームが多いです。

ですが、ヨーロッパではだんだん規制が始まっていて、このイギリスGPでは文字の表記がNGになっていました。

Williams-Renault, Riccardo Patrese/1992 British Grand Prix/Day1

ウィリアムズ・ルノー/リカルド・パトレーゼ

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