1992年のイギリスGPは、予備予選がありました(6台中4台通過)。
初めてF1を見たのは1989年の日本GPでしたが、F1との「ファーストコンタクト」は予備予選を走るF1マシンの音でした。
「ああ、もう予備予選が始まってる!」と焦りながら鈴鹿サーキット内を観客席に向かって歩いているときに、耳をつんざく「キーーーーーン」という甲高いエグゾーストノートが聞こえてきたときの高揚感は、今でも忘れられません。
1989年は前年まで使用できたターボエンジンが禁止され、3.5リッターの自然吸気エンジンのみとなった年で、V8、V10、V12のエンジンが存在しましたが、一番美しいソプラノだったのが、この予備予選で聞いたランボルギーニのV12気筒エンジンの音でした。
フェラーリもV12でしたが、音の美しさだけならランボルギーニが優勝(笑)
閑話休題。
アンドレア・モーダ・ジャッド/ロベルト・モレノ
苦労人の印象があるブラジル人のロベルト・モレノ。
モレノは1989~92年にかけて、コローニ、ユーロブルン、ベネトン、ジョーダン、ミナルディ、アンドレア・モーダと下位~中堅チームのシートを転々としました。
彼のキャリアのハイライトは、直前のヘリコプター事故で出られなくなったナニーニの代わりに出た1990年の日本GPで2位に入ったことでしょう。
このレースは現地観戦しましたが、同郷のピケが優勝し、なんとベネトンの1-2フィニッシュ。3位に鈴木亜久里が入ったこともあり、表彰式がすごく盛り上がりました。
このアンドレア・モーダというチームは、コローニを同名のファッションブランドを展開する実業家が買収し、1992年から参戦した新規チーム。コローニの時は、資金難のため、1991年の日本GPでは服部尚貴を起用し、一口2万円で個人スポンサーを募ったことで話題になりました。
この頃のF1は、大企業が技術の粋を集めた一流のチームがある一方で、AGS、オゼッラ、コローニなど、モータースポーツが好きという熱意だけでがんばっているような町工場レベルの弱小チームもいて、それはそれで面白かったですね。
アンドレア・モーダのオーナー、アンドレア・サセッティは、開幕からいろいろとんでもないことをやらかした挙句、ついにオーナー本人が逮捕されるという不祥事を起こしてFISAの逆鱗に触れ、シーズン半ばでF1から追放されるという不名誉な幕切れを迎えています。
つまり、走っているアンドレア・モーダを見られたのは、非常にレアということになりますね。
アンドレア・モーダ・ジャッド/ペリー・マッカーシー
彼のF1キャリアはアンドレア・モーダのみで、すべて予備予選落ちし、決勝レースに出たことはありません。チームは資源をNo.1ドライバーのモレノに全力投入していたため、このイギリスGPはドライのコンディションにもかかわらず中古のレインタイヤで出走させられ、22秒の大差で予備予選落ち。
あまりの無軌道なチーム運営に呆れたスポンサーが逃げだした結果、こうなりましたという黒一色のボディ。逆光なので黒く見えているわけではありません。
フォンドメタル・フォード/アンドレア・キエーザ
フォンドメタル・フォード/ガブリエレ・タルキーニ
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あのランボルギーニの音がもう一度聞きたくなって動画を探してみたら、いろいろありました!
残念ながら1989年のマシン(ローラ・LC89)のものは見つかりませんでしたが、一応リンクを貼っておきます。
LC89の一つ後のLC90。鈴鹿サーキット50thアニバーサリーでの走行で、なんとドライバーがアレッサンドロ・ナニーニ!
1990年イギリスGPでのオンボードカメラ。ドライバーはエリック・ベルナール。
ラルース・ベンチュリーLC92のテスト走行。ドライバーは片山右京。
どれも、頭の中に残っている音と違いますね…記憶が相当美化されているのかも?