エコール・ド・パリ

モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」
エコール・ド・パリ

第一次大戦後、フランスは愛国心をさらに称揚するとともに、人間性の回復、西欧および自国の芸術の伝統復興をとなえました。

ルーヴル美術館の再開に続き、古典的伝統を代表する絵画がもてはやされ、作品の主題は、祖国の風景や伝統的な人物像、女性ヌードなどが多くなりました。

ブラックやレジェのように戦場に赴く者もいて、パリの前衛芸術の原動力になっていた芸術家たちのコミュニティはいったん解体します。 “エコール・ド・パリ” の続きを読む

イタリア未来派

イタリア未来派

キュビスムと同じ時期に、イタリアでは未来派が起こりました。1909年2月、詩人マリネッティがフランスの新聞「フィガロ」に掲載した未来派宣言によって、その名は全世界に広まりました。

マスメディアをたくみに利用した点に、この運動の特色が現れています。未来派という名称は、20世紀初頭において、19世紀末の文化・社会の名残を捨て去る新しい響きを持っていました。 “イタリア未来派” の続きを読む

キュビスム

キュビスム

色の解放の次に、形の解放であるキュビスムが起こります。ピカソとブラックによって始まったこの運動は、強い感情を表現しようとするフォーヴィスムなどの表現主義的な考え方と違って、形を論理的に解放しました。

ピカソが1907年に制作した「アヴィニョンの娘たち」では、対象は幾何学的で単純な形態に還元され、遠近図法を使わない奥行きの浅い絵画空間で構成されています。 “キュビスム” の続きを読む

象徴主義

クリムト「接吻」
象徴主義

19世紀後半、産業革命以来の技術革新で、社会はベル・エポックと呼ばれる華やかな時代を迎えました。その時代に生まれた象徴主義は、物質主義社会への反抗として、神秘的なもの、超自然的なものを表現しようとしました。

フランスではシャヴァンヌやモローが現れ、象徴主義のさきがけとなります。 “象徴主義” の続きを読む

ポン・タヴェン派とナビ派

セリュジエ「護符」
ポン・タヴェン派とナビ派

1880年代後半、フランス北西部ブルターニュのポン・タヴェン村には印象派や点描派、バルビゾン派風などの芸術家が集まっていました。

ゴーギャンを中心にベルナール、セリュジエ、ラヴァル、メイエル・ド・ハーンらからなるグループはポン・タヴェン派と呼ばれます。 “ポン・タヴェン派とナビ派” の続きを読む

後期印象派

ゴッホ「種まく人」
後期印象派

1880年代になると、印象派の画家たちの結びつきは薄くなり、1886年の印象派展が最後の開催になりました。

モネをはじめとした印象派の画家たちは、純粋な「目」になろうとしました。しかし、後期印象派のセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホは、それだけでは満足できず「絵とは何をすべきか」を改めて追求しました。 “後期印象派” の続きを読む

新印象主義

新印象主義

最後の印象派展となった1886年の第8回展では、はじめて参加したスーラやシニャックの絵画が注目されました。

スーラとシニャックは、1884年に開かれた第1回アンデパンダン展で出会いました。

スーラは明確な形態と構成を重視する古典主義的な資質を持った画家でした。彼がこの展覧会に出品した「アニエールの水浴」は、印象派風の主題でありながら、楽しげなにぎわいよりも静かな秩序が支配しています。 “新印象主義” の続きを読む

印象派

ドガ「舞台のバレエ稽古」
印象派

印象派の父といわれるマネが描いた「草上の朝食」と「オランピア」は、どちらもスキャンダルを巻き起こしましたが、その明るい画面は多くの若い画家をひきつけました。

19世紀のフランスの画家にとって、サロンは作品を公表できるほとんど唯一の場でしたが、審査基準は保守的で、無名の若者たちの新趣向の絵画は落選の憂き目をみていました。

モネ、ルノワール、ドガ、シスレーらは1874年に印象派展を開催し、第8回までにのべ55人の画家が出品しました。「印象派」という名称は、モネの作品『印象・日の出』にちなみます。 “印象派” の続きを読む