フランスのロマン主義

フランスのロマン主義

ナポレオンが退位すると、その主席画家だったダヴィッドはブリュッセルに亡命しましたが、ダヴィッドの弟子、グロやジェラールなど新古典主義の画家は、1814年の王政復古の後も、画壇の重要な位置を占め続けました。

しかし、帝政期にもてはやされた英雄的な戦闘図や軍人の所蔵画など、新古典主義の様式にふさわしい主題は時代の好みに合わず、画家たちは新たなテーマと表現方法を模索しはじめます。

テオドール・ジェリコーは、1812年、「突撃する近衛猟騎兵士官」でサロンにデビューします。テーマはナポレオン時代に描かれた騎馬像を踏襲していますが、強烈な色彩と躍動感は新古典主義の枠を超えたものになっています。

1819年には、数年前に実際に起きた出来事をもとにした大作「メデューズ号の筏」をサロンに出品します。同時代の無名の人々を主人公に据えるというのは、伝統的な歴史画にはない革新的な試みでフランス・ロマン主義のはじまりを告げる作品となりました。

ジェリコーと同じ古典画家ゲランのもとで学んだウジェーヌ・ドラクロワは、32歳という若さで早世したアトリエ仲間のジェリコーの後を継ぎ、ロマン主義の旗頭になります。

1824年、ドラクロワがサロンに出品した「キオス島の虐殺」はトルコ軍の犠牲になった人々の悲劇が大画面に描かれており、衝撃を与えました。

同じ年のサロンには、アングルが「ルイ13世の誓い」を出品し、ダヴィッド派の後の新古典主義を牽引する画家として画壇に迎えられます。以後、パリの美術界では、ロマン主義のドラクロワ対新古典主義のアングルという図式ができあがります。