ダダイズム

ダダイズム

1916年、第一次大戦の混乱に嫌気がさして、中立国であるスイスのチューリヒに集まった芸術家たちによって、従来の芸術を根底から否定する過激なダダイズム運動が起こりました。

盛り場にあるキャバレー・ヴォルテールを舞台にして、詩人フーゴー・バル、トリスタン・ツァラ、リヒャルト・ヒュルゼンベックらは奇抜な扮装で登場し、観客への挑発的な行為を繰り返しました。

美術家では、抽象表現を模索するいっぽうで、紙をまきちらした作品などで偶然の法則を制作に導入したハンス・アルプが参加しました。

大戦後、ヨーロッパ各地にこれに呼応する動きが派生します。アメリカのニューヨークでも、デュシャン、マン・レイ、ピカビアらが同じようなグループをつくり、日本では村山知義らが大正期振興美術運動を起こしました。

その国際的な広がりと同時多発的な発生から20世紀美術の主潮のひとつといえます。

ドイツのダダ

1918年1月、ベルリンでヒュルゼンベックがグロスらと「クラブ・ダダ」を旗揚げし、ハウスマンらと「ダダの夕べ」を催すなど、新たな活動を開始します。

ベルリン・ダダは、1918年末にドイツ帝国の崩壊に直面すると、急速に政治運動の色合いを帯びます。グロスは強烈な風刺画を描き、ヘッヒ、ハウスマンやハートフィールドは、フォト・モンタージュで先鋭な社会批判を行いました。

さらにドイツ各地で運動は広がり、ケルンではエルンスト、ハノーファーではシュヴィッタースがダダを実践しました。

パリのダダ

チューリヒ・ダダが終息すると、運動の中心はパリに移ります。1920年にツァラが、1921年にはエルンストもパリに来て、運動は盛り上がりました。

ただ、パリのダダは、詩人のエリュアールなど文学者が主導の運動でした。

一切のものを否定したダダイズムは短命に終わりますが、無意味・無価値なものに新しい原点を求める精神は、シュルレアリスムに受け継がれます。