マニエリスムの画家

マニエリスム

レオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロが相次いで亡くなると、イタリアでは古典主義とは異なる新しい芸術が生まれました。「マニエリスム」と呼ばれるこの芸術は、洗練された技巧や幻想的な表現によって独特の表現様式を追求し、個性的な作品がつぎつぎと生まれました。

フィレンツェで活躍したポントルモやブロンズィーノ、北イタリアのパルマで独自の芸術を展開したパルミジャニーノに共通するのは、優美と奇想、非現実性と不安感です。

そこには、新しい宗教的価値観や世界観の台頭、フィレンツェやローマの政治的混乱など、時代の持つ社会的不安が見え隠れしています。

フォンテーヌブロー派

16世紀のフランスでは、バロア王朝を中心とした集権化が進み、17世紀の絶対王政が形成される前段階にありました。

この時期、フランソワ1世からアンリ4世に至る王はディアーヌ・ド・ポワティエやカトリーヌ・ド・メディシスといった女性たちの後押しもあって、芸術家を庇護しました。

フォンテーヌブロー宮殿には、「モナ・リザ」をはじめとするイタリア絵画が飾られ、改築のために、ロッソ・フィオレンティーノやフランチェスコ・プリマティッチョらが招かれました。

これらフォンテーヌブロー宮殿の造営にかかわった美術家たちは、フォンテーヌブロー派と総称されています。彼らは共同制作というスタイルをとったこともあり、時に作者の判別が困難な場合もあります。

フォンテーヌブロー派はまた、フランス独自のマニエリスム美術の形成を促しました。

クーザン親子、フランソワ・クルーエらは、裸体の貴婦人の登場する神話主題の寓意画という独特な宮廷美術を開花させました。

16世紀末からのアンリ4世による宮廷装飾にかかわったデュブルイユ、デュボワらを第二次フォンテーヌブロー派と呼びます。

プラハ
スペイン

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