15世紀フランス美術 フランス中部

15世紀フランス美術 フランス中部
15世紀初頭のフランスでは、ブルゴーニュやベリーの宮廷画家たちが、板絵や写本挿絵を手掛けていました。彼らはフランドルの写実主義の基礎のうえに、フランスの文化的伝統を加味した画風でした。そのため、フランコ・フラマン派と呼ばれています。

これら折衷主義的な画家たちには、フランドル出身者がフランス文化に同化したケースもあれば、フランス出身者がフランドル様式を習得したケースもあります。こうした活発な交流が、当時の文化の基礎をなしていました。

1420年ごろになると、英国との百年戦争末期の混乱や王室内の権力抗争で交流が停滞しはじめ、フランスの美術活動は衰退していきました。

フランスに文化復興の兆しが見え始めたのは、シャルル7世が1436年にパリ入城を果たし、フランスの覇権を手中に収めてからのことです。

国王の居城のあったフランス中部、ブールジュやトゥールでは、1440年代になって、ふたたび芸術制作が盛んになりました。

作品の注文者には、教会・修道会の聖職者や王侯貴族だけでなく、都市の裕福な市民層や、宮廷で新たに台頭してきた官僚も含まれました。

ブールジュにゴシック末期の装飾で有名な邸宅を残したジャック・クールや、シャルル7世の財務長官だったエティエンヌ・シュヴァリエなどが、芸術を庇護しました。

ゴシックの伝統をひきずった15世紀フランス絵画に、イタリア初期ルネサンスの新風をもたらしたのは、ジャン・フーケでした。

1420年ごろトゥールに生まれたフーケは、1445年から47年ごろにかけてイタリア各地を旅行し、透視図法、幾何学をもとにした古典的な形体感覚などを吸収しました。

15世紀のフランスは、時代的にはゴシックとルネサンスのはざまに、文化的には北のフランドルと南のイタリアの中間にありますが、フーケは、旧と新、北と南を融合し、独自の古典的造形世界を確立しました。

フーケの遺産はムーラン大聖堂の「栄光の聖母の三連祭壇画」を描いた逸名画家に継承されました。

「ムーランの画家」と通称されるこの画家は、15世紀末に活動し、ファン・デル・フースをはじめとする北方の写実的な表現に夢幻的な色彩を組み合わせた様式が特徴です。

様式の類似から、今日ではドイツ出身のジャン・エイと同一視する説が有力です。