ブリューゲル_農民の婚宴

ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel)
ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel)
  • 16世紀中葉に初期ネーデルラントのブラバント地方を中心に活躍した。
  • ネーデルラントの民族性や土着の文化に根差した絵画は市民や人文主義者に支持され、子のピーテル2世やヤンによって模作が大量に作られた。
  • 『七つの徳目』シリーズにおいて、徳目の擬人化という従来の描き方ではなく、民衆の生活における「徳の実践」という新しい描き方を採用した。
  • 上の肖像画はドミニクス・ランプソニウス「ネーデルラントの著名画家の肖像集」(1572)にあるもので、「新しいヒエロニムス・ボス」と紹介されている。
  • 17世紀後半からしだいに忘れ去られ、20世紀に入ってから再評価された。

Biography
  • 1525-30年 生年・生地は不明。
  • 1545年頃 アントウェルペンのピーテル・クック・ヴァン・アールストの工房に入門。クックはイタリアでルネサンス様式を学んだロマニストだったが、ブリューゲルは師から影響を受けていない。
  • 1551年 アントウェルペンの聖ルカ組合に親方として登録。
  • 1552年頃 イタリア旅行に行く。
  • 1553年 ローマに滞在。ジュリオ・クローヴィオと共同制作したと推定される。銅版画「イカロスの墜落のある風景」に「ペトルス・ブリューゲル、ローマにて制作す 1553年」と銘記。
  • 1554-55年 イタリアからアントウェルペンに戻る。版元ヒエロニムス・コックの依頼で版画の下絵素描を手掛ける。
  • 1556年 版画用の下絵素描「大きな魚は小さな魚を食う」は、当時リバイバル・ブームだったヒエロニムス・ボスの作品として発行される。下絵素描「聖アントニウスの誘惑」、『七つの大罪』シリーズの「貪欲」を制作。
    神聖ローマ帝国カール5世が引退し、狂信的なカトリックであるスペインのフェリペ2世がネーデルラントを支配。新教徒への弾圧を強化。
  • 1557年 ヒエロニムス・ボスを模倣した『七つの大罪』シリーズの「激怒」「怠惰」「傲慢」「大食」「嫉妬」「邪淫」制作。
  • 1559年 版画下絵としてフランドルの民衆の生活を描く。本格的に油彩画に取り組むようになる。下絵素描「シント・ヨーリス門前のスケート滑り」「ホボケンの縁日」『七つの徳目』シリーズの「信仰」「希望」「愛徳」「正義」「賢明」油彩画「ネーデルラントの諺」制作。
    フェリペ2世、ネーデルラントを去る。パルマ公妃マルガレータ(カール5世の非嫡子)がネーデルラント総督に任命される。
  • 1560年 下絵素描『七つの徳目』シリーズの「剛毅」「節制」、油彩画「子どもの遊戯」制作。
  • 1561年 油彩画「悪女フリート」制作。
  • 1562年 油彩画「反逆天使の転落」「死の勝利」(1562年頃)「サウロの自殺」制作。
  • 1563年 アントウェルペンからブリュッセルへ移住。師の娘マイケンと結婚。マルガレータ顧問のグランヴェル枢機卿から庇護を受けるが、異端審問が反感を買って1564年フランスに送還されたため、パトロンになったのは短期間だった。油彩画「ナポリの港の景観」(1563年頃)「バベルの塔」(ウィーン)、「バベルの塔」(1563年頃、ロッテルダム)制作。
  • 1564年 長男ピーテル誕生(1565年?)。油彩画「聖母の死」「十字架を担うキリスト」「東方三博士の礼拝」(ロンドン)「老いた農婦の顔」(1564年頃)制作。
  • 1565年 下絵素描「春」油彩画『季節画』シリーズ「暗い日」「干草の収穫」(1565年頃)「穀物の収穫」「牛群の帰り」「雪中の狩人」「氷滑りと鳥罠のある風景」銅版画「ウサギ狩り」制作。
  • 1566年 油彩画「ベツレヘムの嬰児虐殺」(1566年頃)「ベツレヘムの人口調査」「洗礼者聖ヨハネの説教」「野外での農民の婚礼の踊り」制作
    イコノクラスム(偶像破壊運動)がネーデルラント全土に起こる。
  • 1567年 油彩画「雪中の東方三博士の礼拝」「サウロの回心」「怠け者の天国」制作。
    危険を察知したオラニエ公ウィレムは4月に国外に逃亡。イコノクラスムに激怒したフェリペ2世の派遣した軍隊が8月ブリュッセル入場。マルゲリータにかわってネーデルラント総督になったアルバ公は「血の委員会」を結成。宗教裁判により反対派を虐殺し、財産を没収した。
  • 1568年 次男ヤン誕生。下絵素描「夏」油彩画「足なえたち」「農民と鳥の巣とり」「人間嫌い」「盲人の寓話」「農民の婚宴」(1568年頃)「農民の踊り」」(1568年頃)「絞首台の上のかささぎ」制作。
    エグモント伯、ホルン伯ら名門貴族がブリュッセルの大広場で処刑される。オラニエ公を中心にネーデルラント諸州がスペインに反抗した80年戦争が始まる。
  • 1569年 ブリュッセルで死去。ノートルダム・ド・ラ・シャペル聖堂に埋葬。

関連記事

翻訳 Translation

ページ上部へ戻る