北ネーデルラント

北ネーデルラント

15世紀のネーデルラント美術は、フランドル地方の各都市のほうが経済的に豊かなこともあって、南部を中心に展開しました。

北ネーデルラントで修業した画家が南下して、フランドルで活躍する例も少なくありませんでした。

16世紀の宗教改革期になると、宗教図像に対する考え方に変化が現れます。1566年には全ネーデルラントに聖像破壊運動がおこり、とくに北部オランダ地方では新教徒による祭壇画の破壊が続きました。 “北ネーデルラント” の続きを読む

15~16世紀のブリュージュ

15~16世紀のブリュージュ

15世紀のブリュージュは、各地の優れた画家たちを呼び寄せました。

ブリュージュ派を率いたヤン・ファン・エイクやクリストゥスも、後継者のメムリンクやダフィットにしても、美術市場を求めてよそから来た画家でした。

ハンス・メムリンクはドイツ出身で、おそらく修行期に、当時のドイツ絵画の主流だったケルン派と接触していました。

メムリンクはその後ブリュッセルに赴き、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの工房にいたと推察されます。ロヒールが没した1464年にはすでにブリュージュにいたらしく、翌年に市民権を得て、半生を過ごしました。 “15~16世紀のブリュージュ” の続きを読む

16世紀のネーデルラント絵画

16世紀のネーデルラント絵画

15世紀のネーデルラント絵画は、写実表現においてイタリアに影響を与える存在でしたが、16世紀にはいると地位が逆転し、イタリアを古典・古代美術の手本として仰ぐようになります。

多くの画家がイタリア各地を旅行し、遠近図法や理想的な人体表現を習得しました。イタリア絵画に傾倒し、ルネサンス美術を取り入れた画家たちは、ロマニストと呼ばれました。

その一人、クエンティン・マサイスの描く女性像はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を思わせる顔つきで、スフマート技法が用いられた作品もあります。

そのほか、ヤン・マビューズ、ヤン・ファン・スコーレル、ベルナルト・ファン・オルレイらがロマニストとして知られています。

その一方で、伝統的なゴシック世界にとどまりながら、新しい表現を追求したボスが現れました。ボスは、中世以来慣れ親しまれた宗教的主題を描きながらも、罪に満ちたこの世と地獄の情景と、かつてないほど生き生きと表現しました。 “16世紀のネーデルラント絵画” の続きを読む

15世紀後半のフランドル絵画

15世紀後半のフランドル絵画

16世紀前半のイタリアの美術収集家、マルカントニオ・ミキエルの「美術品消息」には、当時のヴェネツィアには、メムリンク、ボスなどネーデルラント絵画が多く流入していたと記録が残っています。

ヨース・ファン・ヘントは1470年頃からイタリア中部のウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェストロの宮廷に出入りし、フェデリコの書斎を飾った「28人の著名人の肖像」の制作に携わり、イタリアで生涯を終えました。

ヒューホ・ファン・デル・フースはフィレンツェのサンタ・マリア・ヌオーヴァ施療院礼拝堂のために、「ポルティナーリ祭壇画」を手掛けました。その写実の技法は、ギルランダイオの「羊飼いの礼拝」をはじめ、1480年代のイタリアに大きな影響を及ぼしました。

ネーデルラント絵画 第二世代

ネーデルラント絵画 第二世代

ヤン・ファン・エイクとファン・デル・ウェイデンの偉業をどのように継承するかが、ネーデルラント第二世代以後の画家たちの課題でした。

第二世代に属するクリストゥスとバウツは、ともに優れた肖像画家の資質を持っていました。クリストゥスの肖像画には、独特の魅力があります。バウツは単独肖像画をさほど残していませんが、宗教画や歴史画のなかに多数の肖像人物を巧みに組み入れて、肖像画家としての才能を見せています。

彼らはまた、イタリア絵画の直接、間接の影響のもと、単一の消失点をもつ遠近法を取り入れました。

初期フランドル美術

初期フランドル美術

初期フランドル美術は、ブルゴーニュ公国の支配下に花開きました。

フィリップ豪胆公が統治したブルゴーニュ公国は、まず首都ディジョンを中心に発展しました。

ディジョンの宮廷には、フィリップ豪胆公とその息子ジャン無畏公が芸術を保護したことにより、メルキオール・ブルーデルラムやジャン・マルエルら、フランコ・フラマン派の芸術家が集まり、華やかな国際ゴシック様式を展開しました。

その後ブルゴーニュ公国の勢力がネーデルラント地方に延び、フィリップ善良公の時代にはブリュッセルに遷都し、フランドルの各都市が美術の中心になりました。 “初期フランドル美術” の続きを読む

ボス

ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)

Jheronimus_Bosch

  • 15-16世紀の初期ネーデルラントを代表する画家。伝統から逸脱した独自のヴィジョンで幻想的な地獄や悪魔を描いた。
  • ボスが所属していた「聖母マリア兄弟会」は「共同生活兄弟会」(神秘主義者ヤン・ファン・ロイスブロークに傾倒するヘラルト・フローテが創設)という宗教団体に影響を受けていた。ボスも感化を受けたと推察される。
  • パトロンはほとんど知られていないが、初めは所属していた「聖母マリア兄弟会」の会員、そこから各地の君主にまで及んだと考えられている。
  • 30点余りの油彩画と20点余りの素描が真筆とみなされているが、工房作品や模写も多く、研究者でも判断が分かれている作品もある。
  • 画業が長く、人気もあったのに現存している作品が少ないのは、1566年のイコノクラスム(聖像破壊運動)のため。1629年、スヘルトーヘンボスが新教区になったことも影響している。
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ブリューゲル

ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel)
ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel)
  • 16世紀中葉に初期ネーデルラントのブラバント地方を中心に活躍した。
  • ネーデルラントの民族性や土着の文化に根差した絵画は市民や人文主義者に支持され、子のピーテル2世やヤンによって模作が大量に作られた。
  • 『七つの徳目』シリーズにおいて、徳目の擬人化という従来の描き方ではなく、民衆の生活における「徳の実践」という新しい描き方を採用した。
  • 上の肖像画はドミニクス・ランプソニウス「ネーデルラントの著名画家の肖像集」(1572)にあるもので、「新しいヒエロニムス・ボス」と紹介されている。
  • 17世紀後半からしだいに忘れ去られ、20世紀に入ってから再評価された。
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