15世紀フランス美術 フランス中部

15世紀フランス美術 フランス中部
15世紀初頭のフランスでは、ブルゴーニュやベリーの宮廷画家たちが、板絵や写本挿絵を手掛けていました。彼らはフランドルの写実主義の基礎のうえに、フランスの文化的伝統を加味した画風でした。そのため、フランコ・フラマン派と呼ばれています。

これら折衷主義的な画家たちには、フランドル出身者がフランス文化に同化したケースもあれば、フランス出身者がフランドル様式を習得したケースもあります。こうした活発な交流が、当時の文化の基礎をなしていました。

1420年ごろになると、英国との百年戦争末期の混乱や王室内の権力抗争で交流が停滞しはじめ、フランスの美術活動は衰退していきました。

フランスに文化復興の兆しが見え始めたのは、シャルル7世が1436年にパリ入城を果たし、フランスの覇権を手中に収めてからのことです。

国王の居城のあったフランス中部、ブールジュやトゥールでは、1440年代になって、ふたたび芸術制作が盛んになりました。
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北ネーデルラント

北ネーデルラント

15世紀のネーデルラント美術は、フランドル地方の各都市のほうが経済的に豊かなこともあって、南部を中心に展開しました。

北ネーデルラントで修業した画家が南下して、フランドルで活躍する例も少なくありませんでした。

16世紀の宗教改革期になると、宗教図像に対する考え方に変化が現れます。1566年には全ネーデルラントに聖像破壊運動がおこり、とくに北部オランダ地方では新教徒による祭壇画の破壊が続きました。 “北ネーデルラント” の続きを読む

15~16世紀のブリュージュ

15~16世紀のブリュージュ

15世紀のブリュージュは、各地の優れた画家たちを呼び寄せました。

ブリュージュ派を率いたヤン・ファン・エイクやクリストゥスも、後継者のメムリンクやダフィットにしても、美術市場を求めてよそから来た画家でした。

ハンス・メムリンクはドイツ出身で、おそらく修行期に、当時のドイツ絵画の主流だったケルン派と接触していました。

メムリンクはその後ブリュッセルに赴き、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの工房にいたと推察されます。ロヒールが没した1464年にはすでにブリュージュにいたらしく、翌年に市民権を得て、半生を過ごしました。 “15~16世紀のブリュージュ” の続きを読む

16世紀のネーデルラント絵画

16世紀のネーデルラント絵画

15世紀のネーデルラント絵画は、写実表現においてイタリアに影響を与える存在でしたが、16世紀にはいると地位が逆転し、イタリアを古典・古代美術の手本として仰ぐようになります。

多くの画家がイタリア各地を旅行し、遠近図法や理想的な人体表現を習得しました。イタリア絵画に傾倒し、ルネサンス美術を取り入れた画家たちは、ロマニストと呼ばれました。

その一人、クエンティン・マサイスの描く女性像はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を思わせる顔つきで、スフマート技法が用いられた作品もあります。

そのほか、ヤン・マビューズ、ヤン・ファン・スコーレル、ベルナルト・ファン・オルレイらがロマニストとして知られています。

その一方で、伝統的なゴシック世界にとどまりながら、新しい表現を追求したボスが現れました。ボスは、中世以来慣れ親しまれた宗教的主題を描きながらも、罪に満ちたこの世と地獄の情景と、かつてないほど生き生きと表現しました。 “16世紀のネーデルラント絵画” の続きを読む

ゴシック

ゴシック

12世紀中ごろから後半にかけて、パリを中心とした宮廷文化の開花と都市の隆盛を背景にしてフランスに新しい美術が登場しました。これをゲルマン民族のゴート族にちなんで「ゴシック」といいます。

ゴシックは、喜びや悲しみ、哀れみや恐れなど、さまざまな情緒に強く訴えかける美術です。その点で、人間くさく、わかりやすい美術といえます。
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イタリアのゴシック

イタリアのゴシック

ビザンティン様式の影響が強く残っていたイタリアでは、13世紀の半ばから新しい市民社会の誕生とともに、新しい表現の絵画を生み出しました。

その代表がシエナとフィレンツェです。

シエナでは、ドゥッチョやシモーネ・マルティーニ、ロレンツェッティ兄弟が優美さや繊細な装飾が特徴の作品を残しました。
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15世紀後半のフランドル絵画

15世紀後半のフランドル絵画

16世紀前半のイタリアの美術収集家、マルカントニオ・ミキエルの「美術品消息」には、当時のヴェネツィアには、メムリンク、ボスなどネーデルラント絵画が多く流入していたと記録が残っています。

ヨース・ファン・ヘントは1470年頃からイタリア中部のウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェストロの宮廷に出入りし、フェデリコの書斎を飾った「28人の著名人の肖像」の制作に携わり、イタリアで生涯を終えました。

ヒューホ・ファン・デル・フースはフィレンツェのサンタ・マリア・ヌオーヴァ施療院礼拝堂のために、「ポルティナーリ祭壇画」を手掛けました。その写実の技法は、ギルランダイオの「羊飼いの礼拝」をはじめ、1480年代のイタリアに大きな影響を及ぼしました。

ネーデルラント絵画 第二世代

ネーデルラント絵画 第二世代

ヤン・ファン・エイクとファン・デル・ウェイデンの偉業をどのように継承するかが、ネーデルラント第二世代以後の画家たちの課題でした。

第二世代に属するクリストゥスとバウツは、ともに優れた肖像画家の資質を持っていました。クリストゥスの肖像画には、独特の魅力があります。バウツは単独肖像画をさほど残していませんが、宗教画や歴史画のなかに多数の肖像人物を巧みに組み入れて、肖像画家としての才能を見せています。

彼らはまた、イタリア絵画の直接、間接の影響のもと、単一の消失点をもつ遠近法を取り入れました。

初期フランドル美術

初期フランドル美術

初期フランドル美術は、ブルゴーニュ公国の支配下に花開きました。

フィリップ豪胆公が統治したブルゴーニュ公国は、まず首都ディジョンを中心に発展しました。

ディジョンの宮廷には、フィリップ豪胆公とその息子ジャン無畏公が芸術を保護したことにより、メルキオール・ブルーデルラムやジャン・マルエルら、フランコ・フラマン派の芸術家が集まり、華やかな国際ゴシック様式を展開しました。

その後ブルゴーニュ公国の勢力がネーデルラント地方に延び、フィリップ善良公の時代にはブリュッセルに遷都し、フランドルの各都市が美術の中心になりました。 “初期フランドル美術” の続きを読む

マニエリスムの画家

マニエリスム

レオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロが相次いで亡くなると、イタリアでは古典主義とは異なる新しい芸術が生まれました。「マニエリスム」と呼ばれるこの芸術は、洗練された技巧や幻想的な表現によって独特の表現様式を追求し、個性的な作品がつぎつぎと生まれました。

フィレンツェで活躍したポントルモやブロンズィーノ、北イタリアのパルマで独自の芸術を展開したパルミジャニーノに共通するのは、優美と奇想、非現実性と不安感です。

そこには、新しい宗教的価値観や世界観の台頭、フィレンツェやローマの政治的混乱など、時代の持つ社会的不安が見え隠れしています。 “マニエリスムの画家” の続きを読む